百鬼園随筆

 

 

佐野洋子が好きだと書いていたから読んだ。たしかに佐野洋子が好きな人は内田百閒も好きかもしれない。

さすがに刊行が昭和8年で、大抵の差別とそれに用いる用語がまだ生き生きとしているから耐性のない人は読んでもつまらないと思う。その代わり著者が懇意にしていた盲目の作曲家、宮城道雄が、見える人間を指して "目明き" と綺麗に有徴性を付与している会話なんかがありありと書いてあって、言葉として簡単なものほど、便利に使われて差別用語になってしまったのだなと思う。今は "盲人(盲者?)" と "晴眼者" になるのかな。弱視者を含む場合は "視覚障がい者" か。古い言葉から順に使えなくなるのかもしれない。

読み終わってからもう一月経って、印象に残っているのは漱石が彼の地元に公演に来たときのことを書いたエッセイと、高利貸しのことを書いたいくつかの作品だ。高利貸しの方は何人か出てくるのだけど、おっかなくて、よくこんな人たちからお金を借りて、借り続けて生きていられたなと思う。職があったから恐ろしい目には合わなかったのかもしれないけれど、毎月毎月暮らすお金が足りないらしいわりに、百閒自身はそうびくびく節約している様にも見えない。お金のことに限らず、とにかく物おじしない。人が見ないようにしてほしいようなときにもまじまじと覗き込んでくるような好奇心の強さ、身についた観察がある。まぁそうでもなければ古典になるような随筆なんて書けないのだろうけど、付き合った人たちは大変だっただろうな。

飛行機の話や電車の話もよかったですね、弔問に行く話も。

 

表題作は2014年の芥川賞なのだそうだ。芥川賞が発表される号の文藝春秋は父がたいてい買っていたのでそれで読んだ作品もあるのだけど、その習慣が失われたあとの作品のような気がする。どちらにしても2014年だと父のものに勝手に触ることはなかったかもしれない。

小山田浩子を読んだのは初めてだった。芥川賞に選ばれているのだから純文学に分類されるんだろうと思うが、夫の転勤に伴い義実家の隣に引っ越した女性が主人公の「穴」も、二組の夫婦の交流を一方の夫視点で描く「いたちなく」「ゆきの宿」も、書いていないことを想像させるセリフや描写が多く、半分ミステリのような頭の使い方をして読んだ。

「穴」を読み進めていて、途中で出てくる子どもたちがはっきりと広島弁の言い回しを使ったところでやっと広島の夏の話か、と気がついた。それくらい訛らない人物が多くて、描かれる風物が地方のものであるのに対して言葉が標準語だと、なにか古い映画を見ているような気持ちになるのだと分かった。

 作中に方言を喋るひとが一人もいなければ、フィクションの決め事として何にも思わないかもしれないが、方言がない世界ではないらしい。しかも、その広島弁を喋る子どもたちというのは主人公にしか見えていない。何か不気味で、丁寧な女言葉で喋る女、「〇〇かい」「参ったな」のような言葉で話す男、そういうざらついた雰囲気にのまれているうちにずいぶん恐ろしい話を読まされた気がする。

 ひとつ前の彩瀬まるに続いて、幻想的に描かれる夢やらなにやらを(ときにはメタファーとして)読んで味わう恐怖ももちろん鮮やかだが、それらを含んだ生活、続いていく人生の方からは「あるある」の匂いがするのがより恐ろしい。人間はボケた義祖父を見なかったことにするし、死んだ兄を存在ごと隠すくらいのことはやる。悪意や決意ではなく、仕方のないこと、あるいはなりゆきとして、平々凡々の人間も、大きな秘密をそのままにする。ほかにしようのないなりゆきなんてよくあることだけど、読んでみるとこんなに重たく感じるものなんだな。

短編としてすきだったのは「いたちなく」で、落語みたいに綺麗なオチがついている。わかりよくキマっていて、そういう短編をすきだなと思った。

さいはての家

 

彩瀬まるの新しい文庫が出ていた。古い貸家に住むひとたちにまつわる短編が5編。各話に繋がりはあるけど独立して読める。

初出がもっとも遅い「かざあな」でも2019年11月号のすばるなので、完全にコロナ禍の前に書かれた小説だ。近い過去の方が違いがわかりやすいのか、

ワンセグチューナーをつけたパソコンで明日の天気予報を見ていた満は、少し笑った。

「ままごと」

などという表現にすでに時代を感じる。

彩瀬まるは文章がうますぎるので、書かれたものとして読んでしまうと、学校もろくに出てないチンピラがこんなゆたかな比喩表現を使って物事を描写するわけがない、という没入失敗現象が起こってしまう。一人称の小説という表現様式においては、あくまで登場人物の脳内を言葉に起こすとつまりこういうことです、というテイで読み進めることが大切だ。

すでに投げ捨てた人生なら、この先の日々は余分というか、楽しみこそすれ惜しむようなものではないのかもしれない。

「ゆすらうめ」

「ゆすらうめ」に出てくる主人公のチンピラはこのようなつもりでいたのに、最後には大切な人を守りたくてさいはての家をあとにする。他のヤクザに追われての旅立ちでいかにもこのあと死にそうなんだけど、きっと「死にたくなかった」「帰りたかった」と死の間際に本気で思えるということは、この人の人生における幸せだろうと思う。

鱗を光らせた赤白黒の艶やかな地獄が過ぎた頃、影法師は穏やかな声で続けた。

「お前がうたたねをしている姿を見たことがある。うっすらと暖かい日でね。-中略- 障子戸のすき間から伸びた日差しが、お前の足首を染めていた。こつんと突き出たくるぶしの骨だとか、皮膚からほんのり透ける桃色だとか、くぼみに指を当てれば血管が生真面目に脈打っているのだろうなとか、そんなことがたまらなく嬉しく思えて、いいものを見た、って羊羹をぶら下げたままで涙が出た。そんな一日があったんだ」

庭に、すうっと心地よい風が抜けた。

「ひかり」

日本人作家の読みやすい小説を読んでいるつもりだったのに、ここを読んだときは中南米魔術的リアリズム小説と同じ感触がした。この文章は「ひかり」というタイトルの、年老いた新興宗教の教祖が主人公の作品の、ほとんどオチに当たる部分なのだけど、ここに行き着くまでを読んでくると、"庭に、すうっと心地よい風が抜けた。" のところですごく気持ちよくなれる。それによく考えると、呪いが解けて自分(名前)を取り戻すのはファンタジーの王道展開だ。彩瀬まるが書いたのを読めてよかったなと思う。

5話すべてに何か恐ろしいものが出てくる。主人公の狂気、希死念慮、ストーカー気質の恋人、トラウマ、思い返すとなんでもある。それら全てが本当に恐ろしく、この作品はファンタジーであると同時にホラーでもあると思う。

私が一番怖かったのは「はねつき」だ。駆け落ちしてきた主人公の若い女と歳上の妻子持ちの話で、女が恋愛ファンタジーから覚める過程が詳らかにされている。女はたぶん一緒に逃げてきたことも、この男と別れることも後悔しないし、今度は脳裏に真っ白を思い浮かべてやりすごすこともしないと思う。

どの話も逃げてきた人たちの物語なのだけど、いつもきちんと一時避難先でなく再出発した現実の側に希望を見せて終わっていて、生と対峙する強さを感じた。自分にないものが眩しいのはいつものことだけど、好きな作家にやられると堪える。

ここは、おしまいの地

こだまさんの本を読んだ。

 

 

こんな表紙なのか。「夫のちんぽが入らない」以来だと思う。

単に自分よりこだまさんのが不幸っぽいので元気が出る部分もあるし、逆にこだまさんはこんなに大変なのにこんなに面白いエッセイが書けて、それにひきかえ私ときたら何を生み出すこともなく無為な人生を…となる部分もある。

以降続編らしきエッセイも出ているようなので、また怖いもの見たさで読もうと思う。

私が好きなのは、骨が消えてしまう病気の治療で首に埋め込まれた3本のボルトが小さな鳥居に見えていたり、医者が自分の骨について「生えてくる可能性」を語るようになったりして、自分のことをなにか珍しいことがよく起こる、有り難い存在のように思っているこだまさんだ。

骨が消えてしまっている首の画像を、医者と一緒に見たときのこだまさんの観察のところを引く。

骨は南北に伸びる二つの島のようにも見えた。上にあるのが菱形の小島、下には細長く伸びた島。北海道と本州をつなぐ青函トンネルが消滅したような状態だ。画面には暗い津軽海峡が映し出されていた。

私の中の欠けたバナナ、海峡、骨壷泥棒。わからないことだらけだ。

電車の中で読むのは危ないと思って、家でALGSを観戦する合間に読む失礼スタイルだったのだけど、たいして集中もしてないのにこういう文章を真顔でぶちこまれると笑ってしまう、面白いことばっかり言うのをやめてほしい。

こだまさんは、すごく大変な目にあってもどこか他人ごとみたいな神様の目がついていて、そのせいでおもしろおかしくなってしまっている。だからそういう「人ではない(神様に近い)」見解は私には大当たりに思えるのに、本人は自分の神性にあんまり自覚的じゃないようなのが面白い。

とはいっても実際かなり苦労している神様で、大抵の人は同情できると思うので、今状況が不幸な人にも安心してオススメできる。

Tustin Station

水曜の朝は早く起きて、濁った色のトロピカーナを薄暗い部屋で飲んだ。美味しいような気がする。

珍しく重たく曇った空の下、タスティン駅で友人と別れて電車に乗った。電車といっても電気じゃなくてディーゼルで動いてるから、列車とか汽車とか、そういう言葉の方が正確かもしれない。この列車の切符や、この後乗り継いだバスの切符も、本当はアプリで簡単に買えるはずなんだけど、アメリカの一部のクレカ決済システムはZIPコードを要求した上でアメリカ国内の郵便番号でなければ弾く、というバカの仕様なのでいちいち切符を買って乗った。

私が乗ったのは自転車やら大荷物の人やらが利用するノンステップの車両で、低い視点でゆっくり走るからひどく落ち着いた気分になってしまった。線路沿いの塀に描いてあるグラフィティをぼんやりと眺めていた。途中アナハイムも通るし、LA観光するならこれでだいたい行きたいところには行けるのでは、と思う。一向に改札される様子のなかった切符は終点のLAユニオンステーション直前でやっと日の目を見た。

そのあとはどこにも湿気なんてないはずなのに湿気ったかんじのする駅構内を抜けてFly Awayというロサンゼルス国際空港行きのシャトルバスに乗り換えた。乗車時、運転手のおじさんがそれぞれの客に利用する航空会社を聞いては降りるターミナルを教えてくれるのだけど、これが史上最もスペイン語訛りの英語だったので脳がバグってやや目が覚めた。

思ったより全てがスムーズで空港には随分早く着いたのでのんびりお土産を見た。見るのは楽しいけどレートのことを考えると財布の紐が締まりがちで、今じゃなければなあと何度も思った。でもこの時に選んだSee's Candiesのピーナッツとキャラメルのお菓子は祖母に好評だったのでよかったな。

空港にはいつもそれなりに色んなことが起こっている気配があるけど、一方で宙に浮いたみたいに暇を持て余している様子の人も沢山いて、他の場所とは違う時間が流れている。あるいは各々が各々の時の流れの中にいるまま、すれ違っている。広い空間に響く足音やキャスターの音、知らない言語のアナウンス、それらが混ざり合う遠い雑音を聞いていると何故か自分の中は静かになる。

自分用に買ったギラデリの板チョコを齧っていたら時間になって、帰りの飛行機がJALだったせいで機内に足を踏み入れたらもう日本だった。隣席は大阪にいる娘に会いに行くチリ人の女性で、タブレットの使い方から税関申告書の書き方まで、わからないことがあるとこちらを見るので何かと話すことになった。JALのCAさんたちはスペイン語は話す気なさそうだったしとにかくずっと忙しそうで、これがアメリカン航空のスタッフなら暇そうな時もあったし何人かはスペイン語もできただろうにな、と思っていた。(私だってスペ語は話せない、ただ大抵の人類はJALのCAよりは暇ってだけ)自分の母より少し年上の彼女を、関空のイミグレまで送り届けたらいよいよ遠足が終わった気分がやってきた。

空港からははるかという特急に乗った。隣の席には小学校中学年にしか見えない女の子が、ぴらぴらのワンピースにポシェットひとつで、でも完全に落ち着き払って乗っていた。生活が想像できなくて印象に残っている。新大阪駅でタイ料理屋のガパオ弁当を買ったらがっつりジャパナイズされているであろうおなじみの味で、ニッポンの味!と失礼なことを思いながらたいらげた。疲労で満腹中枢がイカれていたのだと思うけど、全部とてもおいしかったな。

その後のことはあまり覚えていない、家に着いたら両親が起きていて、母が「アメリカはどう?」てそれ以上ざっくりにできない質問をしたのが面白かった。「アメリカはどう?」

帰国の前日、球場からの帰りかな、友人に「カリフォルニアはどうでしたか?」と聞かれて「なんか…広かったね…広いせいで全部がおおらかで…でもまあ全員がそれでいいなら私もそれでいいよ、と思うよ。神経質で几帳面な人もよくいるとなると怒られたりしてイヤだし困ることもあるだろうけど。基本全員おおらかなら全員おおらかでいいよね」と答えたのをあとから思い出した。

帰宅時は疲れ切っていたので、実際になんと答えたかは曖昧だけど、「とにかく広くて明るくて、手軽な外食は基本的にまずい。でも乳製品とか肉とか原材料寄りのもののパワーが日本とは違って、それに甘えて料理を成立させてくる感じがまじアメリカだった。フリーウェイは恐ろしいようだけどそれに乗ればどこにでも行けるみたいだった。街中に人は歩いていない。」とか、そんなようなこと。

今の時期カリフォルニアという場所は日照時間が異様に長いので、しみじみと落日を眺めることもあまりなかったんだけど、砂漠からの帰りに一度だけ夕陽を見て、つまりこれがカリフォルニアサンセットだ…と思ったときが一番満ち足りた気持ちだったように思う。日が暮れたあとにはもう殆ど1日が残っていなくて、太陽が落ちたら今日はおしまい、という清々しさがあった。

(太陽のこと考えてたら次に見るディズニーはやっぱり「リメンバー・ミー」にしようかなと思えてきた)

そんなふうだから日本にいるときよりよほどヘルシーに生活していたのだけど、日本に戻れば日本なりのリズムがあって、今は食べたり飲んだり眠ったり起きたり、自堕落な生活をしている。

こんなところ。最後に滞在中おおらかなホストでい続けてくれた友人に感謝を、たぶんだけど私は捧げたほうがいい。

ありがとう、さよなら。ごきげんよう、さよなら。

Wes Anderson & Shohei Otani

急に人名になっちゃった。

午前中は殆ど眠っていた。他人の家には自分の問題がないから落ち着くのだと思う。

前日の夜、予習兼酒の肴にエンジェルスの負け試合を見ていたのだけど、間に挟まるペンキやら4WDやらのCMの中に、ウェスアンダーソンの新作の宣伝も入っていた。「え、これ、先週次の金曜日からって言ってるってことは…?え、え」「もうやってるよ?」「うわー、出る出る言って全然出ないことで有名なあのウェスアンダーソンの新作…アメリカ来てよかったー…明日見にいくわ」つってクソみたいなオンラインチケットシステムを友人の米国内請求先住所に攻略してもらった。

平日昼下がりのAMC Thertreはびっくりするほど空いていて、もぎりのお兄さんが開映直前までいないせいであやうくチケットを切らずに席に行き着くところだった。直前にジェラート屋さんでピスタチオとリモンチェッロジェラートを食べていたから、あんまり考えないでコーヒーだけ頼んだ。恰幅のいい店員さんがコーヒーとは別のカップに砂糖とミルクをたくさん持ってきてくれたのにすげなく断ってしまったら、怪訝な顔をして「OK…just black coffee...」とかなんとかぶつぶつ言っていた、最初からブラックと言えばよかったかな。

映画はAsteroid Cityというタイトルで、奇しくもアメリ中南部の砂漠が舞台だった。明るくて乾いた画面は前作のフレンチ・ディスパッチとは質感が違っていて、登場する何人もの子供たちの無垢さとよくマッチしていたように思う。別に全部英語が聞き取れるわけでもないからちゃんとした感想が言えるかというと微妙なんだけど、しんしんと気に入った会話シーンがあって、それは

 

 

 

 

 

「私とあなたには共通点がある。すごくかなしいことがあって、でもそれを説明しない。」

「「したくないから」」

「そういう共通点がある」

 

という会話(日本で公開されたら詳細を修正するね)を、妻を亡くした主人公の男性と、この町で出会った女優が、違う建物の2階の窓同士でするところ。お互いの領域が窓の向こうに見えているのに立ち入ることがない、その関係性が端的に表現されていたと思う。

 

ねたばれここまで

 

交感はあるが相手を侵さない、そうであることで保たれる距離と緊張。それらによってもたらされる安寧。

帰る途中に韓国系のスーパーがあったので寄った。見たことないくらい沢山の種類のキムチや、ロッテのお菓子、韓国メーカーのインスタントラーメンなんかがあって、面白いから買いたかったのだけど、アメリカ土産としては意味がわからないか、と思って見るだけにした。おおざっぱにアジア系スーパーでもあるので日本やベトナムのメーカーの食品も置かれていた。

家に一度戻ってアナハイムのエンジェルススタジアムに出発した。なんとなしウキウキした渋滞を抜けて、入り口で大谷パズル(100ピースある!)をもらって、席に座ったら大谷のホームランだった。口が開く感じがして、ひとつめの動画を撮ったのはそれよりあとだったと思う。ホームランてなんか文脈を無視したパワーがあってすごいな、と二本目を見た時にも思った。大谷は大きな背中で7回の途中までマウンドにいて、自分で守って自分で打って大活躍をしていた。チームの調子も比較的良さそうで、前夜に見たエンジェルスは高めのボール球もシンカーも全部振って抑えられてたのに、ちゃんと四球をえらんだりしていていったいこの数日の間に何があったんだろうと思った。終盤逆転のランナーが出てヒヤヒヤしたりもしたけど、応援しに来た甲斐があったのか最終的には4-2で勝利していい気分だった。この日はJapanese Heritage Night というので、合間合間に100歳の日系人のおじいさんやおばあさんが紹介されていてありがたい気持ちになった。他にも小さな子供が走ってごほうびをもらうコーナーがあったり、パックマンのレースがあったり、野球場ってあんなに和やかな場所だったかな。そういえば滞在中初めて友人以外から自然な日本語を聞いたのがここのteam storeだった。応援しにくる人が多いのかもしれない。店内には殆ど大谷選手とトラウト選手のグッズしかなくて、大谷選手が大人気でいてくれて助かったなと思いながら母親にTシャツを買った。

友人宅に戻ってからビーフ味の日清カップヌードルを食べてみたのだけど、出汁がコンソメというか、カツオとか醤油の味があまりしない、不思議なスープだった。

 

South Coast Plaza, 散歩と買いものの日

この日は家主が出勤したので私はゴロゴロしながら友達にカードを書いた。日本に3枚、フランスに1枚。届くか不安だけど、USPSの独自システムっぽい無骨な自動販売機からair mail用のstampを買って、self service cards&enveloppesって書いてる窓口に放り込んできたからなんとかして届いてほしい。郵便局の有人窓口には10人前後の人が静かに並んでいて、人数に対する喧騒の比で言うと一番静かな場所だったかもしれない。リノリウムの床、照度の低い室内はなんだかアメリカじゃないようだったけど、窓口のお姉さんの落ち着きっぷりがアメリカ、というかズートピアナマケモノの窓口みたいで、これがあの!あのやつね!と失礼な感動を覚えていた。
そのあとは小一時間歩いてSouth Coast Plazaというショッピングモールに向かった。我慢できないでカリッサの写真を撮って、私は時速3km以下で歩かないと見られないようなもののことが本当に好きだな、と思った。見渡す限り歩いている人間はいなかったけど、どの道路にも歩行者用の押しボタン式信号はあったから、勢いを得て次々に押して渡った。ジョン・ウェイン空港から飛び立つ小さな飛行機を見送って、自転車に乗ったちょっと日系人ぽいおじいちゃんにHi!と挨拶をされた。

薄暗い高架下をやや怯えながら抜けるとその先にひまわり畑が広がっていた。発見にはしゃいでシャッターを切ったら前日夕方のシャッタースピードのままで、イーンシャンとか言ってたからイーンシャンじゃありませんと思って1/250に直してもう一枚撮った。セブンイレブンに寄ってみたら、並んでいる商品は全然違うんだけど、棚のレイアウトには共通するコンビニらしさがある。喉を鳴らして水を飲みながら歩くうち、同じくストレンジャーらしい男性3人組とすれ違った。額から汗を垂らしていた。その後はいかにもアメリカのホームドラマに出てきそうな、芝生のある美しい住宅街を少し歩いて、涼しいモールにたどり着いた。

このモールに来たのは、nordstromという百貨店でMerletteというブランドのワンピースを買いたかったからなんだけど、品物は見つけたのに店員が見当たらずしばらくうろうろする羽目になった。そうこうするうちにドルガバの売り場から出てきた店員さんに声をかけられたので、「ワタシ何にもわからないネどうやって買うノ」って聞いたら、「私に言ってくれたら別にドルガバのじゃなくても全部試着できるし会計もできるからね、声かけてね」というので安心してあちこち見て回った。広大な売り場に色々なブランドの洋服が置いてあるんだけど、店員は二人くらいしかいない。
欲しかったのがちょっと思い切りが必要な値段のワンピースだったので、一休みしようと思ってスターバックスでラテを買ったら味がしなくて驚いた、なんだかんだ日本のスターバックスは美味しい方なのかもしれない。ナイキのダンクハイとかもずっと探してるからついでに見たんだけど、結局円安すぎて国内の通販で買った方が安い。大抵のものがそう。
バスの時間もあるし、と思ってさっきの店員さんに相手をしてもらってワンピースを買った。サイズ違いの確認やら新品の在庫やらのために何度も行ったり来たりさせたのに嫌な顔ひとつしないで接客してくれて、嬉しかったな。この滞在の間、英語わかんないだろと思われているor単に遠慮がないっぽいコメントが斜め後ろから聞こえてくることは数回あったけど、面と向かって話した人たちはみんな親切で明るかった。店員さんの場合はプロフェッショナルだった、というべきなのかもしれないけど。
帰りは2ドルだけ払ってバスに乗った。薄暗くて悪い油の匂いがしたけど、その分外の眩しさが目に染みたし、バスが止まるたびに運転手のおじいさんが水分補給するのんびりした雰囲気が気に入った(飲んでたのがお酒だったらちょっと話は違ってくるけど)。妙なヒモのようなものが車内に渡してあって、それを引っ張ると音が鳴って次のストップで止まってくれる。
のんびりした1日を過ごした私と違い出勤していた友人は、大事な面談があったとかでちゃんとちょっとよれていて、社会人の哀愁ってこうやって漂わせるんだなと思った。夕食に食べたコストコのスモークサーモンが美味しくて、アメリカで食べたものの中で一番感動した。日本でも売ってるかな。カリフォルニア産の白ワインはジュースみたいに甘くて、これだから陽キャは、、、と思いながら飲んだ。