百鬼園随筆

 

 

佐野洋子が好きだと書いていたから読んだ。たしかに佐野洋子が好きな人は内田百閒も好きかもしれない。

さすがに刊行が昭和8年で、大抵の差別とそれに用いる用語がまだ生き生きとしているから耐性のない人は読んでもつまらないと思う。その代わり著者が懇意にしていた盲目の作曲家、宮城道雄が、見える人間を指して "目明き" と綺麗に有徴性を付与している会話なんかがありありと書いてあって、言葉として簡単なものほど、便利に使われて差別用語になってしまったのだなと思う。今は "盲人(盲者?)" と "晴眼者" になるのかな。弱視者を含む場合は "視覚障がい者" か。古い言葉から順に使えなくなるのかもしれない。

読み終わってからもう一月経って、印象に残っているのは漱石が彼の地元に公演に来たときのことを書いたエッセイと、高利貸しのことを書いたいくつかの作品だ。高利貸しの方は何人か出てくるのだけど、おっかなくて、よくこんな人たちからお金を借りて、借り続けて生きていられたなと思う。職があったから恐ろしい目には合わなかったのかもしれないけれど、毎月毎月暮らすお金が足りないらしいわりに、百閒自身はそうびくびく節約している様にも見えない。お金のことに限らず、とにかく物おじしない。人が見ないようにしてほしいようなときにもまじまじと覗き込んでくるような好奇心の強さ、身についた観察がある。まぁそうでもなければ古典になるような随筆なんて書けないのだろうけど、付き合った人たちは大変だっただろうな。

飛行機の話や電車の話もよかったですね、弔問に行く話も。