Tustin Station

水曜の朝は早く起きて、濁った色のトロピカーナを薄暗い部屋で飲んだ。美味しいような気がする。

珍しく重たく曇った空の下、タスティン駅で友人と別れて電車に乗った。電車といっても電気じゃなくてディーゼルで動いてるから、列車とか汽車とか、そういう言葉の方が正確かもしれない。この列車の切符や、この後乗り継いだバスの切符も、本当はアプリで簡単に買えるはずなんだけど、アメリカの一部のクレカ決済システムはZIPコードを要求した上でアメリカ国内の郵便番号でなければ弾く、というバカの仕様なのでいちいち切符を買って乗った。

私が乗ったのは自転車やら大荷物の人やらが利用するノンステップの車両で、低い視点でゆっくり走るからひどく落ち着いた気分になってしまった。線路沿いの塀に描いてあるグラフィティをぼんやりと眺めていた。途中アナハイムも通るし、LA観光するならこれでだいたい行きたいところには行けるのでは、と思う。一向に改札される様子のなかった切符は終点のLAユニオンステーション直前でやっと日の目を見た。

そのあとはどこにも湿気なんてないはずなのに湿気ったかんじのする駅構内を抜けてFly Awayというロサンゼルス国際空港行きのシャトルバスに乗り換えた。乗車時、運転手のおじさんがそれぞれの客に利用する航空会社を聞いては降りるターミナルを教えてくれるのだけど、これが史上最もスペイン語訛りの英語だったので脳がバグってやや目が覚めた。

思ったより全てがスムーズで空港には随分早く着いたのでのんびりお土産を見た。見るのは楽しいけどレートのことを考えると財布の紐が締まりがちで、今じゃなければなあと何度も思った。でもこの時に選んだSee's Candiesのピーナッツとキャラメルのお菓子は祖母に好評だったのでよかったな。

空港にはいつもそれなりに色んなことが起こっている気配があるけど、一方で宙に浮いたみたいに暇を持て余している様子の人も沢山いて、他の場所とは違う時間が流れている。あるいは各々が各々の時の流れの中にいるまま、すれ違っている。広い空間に響く足音やキャスターの音、知らない言語のアナウンス、それらが混ざり合う遠い雑音を聞いていると何故か自分の中は静かになる。

自分用に買ったギラデリの板チョコを齧っていたら時間になって、帰りの飛行機がJALだったせいで機内に足を踏み入れたらもう日本だった。隣席は大阪にいる娘に会いに行くチリ人の女性で、タブレットの使い方から税関申告書の書き方まで、わからないことがあるとこちらを見るので何かと話すことになった。JALのCAさんたちはスペイン語は話す気なさそうだったしとにかくずっと忙しそうで、これがアメリカン航空のスタッフなら暇そうな時もあったし何人かはスペイン語もできただろうにな、と思っていた。(私だってスペ語は話せない、ただ大抵の人類はJALのCAよりは暇ってだけ)自分の母より少し年上の彼女を、関空のイミグレまで送り届けたらいよいよ遠足が終わった気分がやってきた。

空港からははるかという特急に乗った。隣の席には小学校中学年にしか見えない女の子が、ぴらぴらのワンピースにポシェットひとつで、でも完全に落ち着き払って乗っていた。生活が想像できなくて印象に残っている。新大阪駅でタイ料理屋のガパオ弁当を買ったらがっつりジャパナイズされているであろうおなじみの味で、ニッポンの味!と失礼なことを思いながらたいらげた。疲労で満腹中枢がイカれていたのだと思うけど、全部とてもおいしかったな。

その後のことはあまり覚えていない、家に着いたら両親が起きていて、母が「アメリカはどう?」てそれ以上ざっくりにできない質問をしたのが面白かった。「アメリカはどう?」

帰国の前日、球場からの帰りかな、友人に「カリフォルニアはどうでしたか?」と聞かれて「なんか…広かったね…広いせいで全部がおおらかで…でもまあ全員がそれでいいなら私もそれでいいよ、と思うよ。神経質で几帳面な人もよくいるとなると怒られたりしてイヤだし困ることもあるだろうけど。基本全員おおらかなら全員おおらかでいいよね」と答えたのをあとから思い出した。

帰宅時は疲れ切っていたので、実際になんと答えたかは曖昧だけど、「とにかく広くて明るくて、手軽な外食は基本的にまずい。でも乳製品とか肉とか原材料寄りのもののパワーが日本とは違って、それに甘えて料理を成立させてくる感じがまじアメリカだった。フリーウェイは恐ろしいようだけどそれに乗ればどこにでも行けるみたいだった。街中に人は歩いていない。」とか、そんなようなこと。

今の時期カリフォルニアという場所は日照時間が異様に長いので、しみじみと落日を眺めることもあまりなかったんだけど、砂漠からの帰りに一度だけ夕陽を見て、つまりこれがカリフォルニアサンセットだ…と思ったときが一番満ち足りた気持ちだったように思う。日が暮れたあとにはもう殆ど1日が残っていなくて、太陽が落ちたら今日はおしまい、という清々しさがあった。

(太陽のこと考えてたら次に見るディズニーはやっぱり「リメンバー・ミー」にしようかなと思えてきた)

そんなふうだから日本にいるときよりよほどヘルシーに生活していたのだけど、日本に戻れば日本なりのリズムがあって、今は食べたり飲んだり眠ったり起きたり、自堕落な生活をしている。

こんなところ。最後に滞在中おおらかなホストでい続けてくれた友人に感謝を、たぶんだけど私は捧げたほうがいい。

ありがとう、さよなら。ごきげんよう、さよなら。