さいはての家

 

彩瀬まるの新しい文庫が出ていた。古い貸家に住むひとたちにまつわる短編が5編。各話に繋がりはあるけど独立して読める。

初出がもっとも遅い「かざあな」でも2019年11月号のすばるなので、完全にコロナ禍の前に書かれた小説だ。近い過去の方が違いがわかりやすいのか、

ワンセグチューナーをつけたパソコンで明日の天気予報を見ていた満は、少し笑った。

「ままごと」

などという表現にすでに時代を感じる。

彩瀬まるは文章がうますぎるので、書かれたものとして読んでしまうと、学校もろくに出てないチンピラがこんなゆたかな比喩表現を使って物事を描写するわけがない、という没入失敗現象が起こってしまう。一人称の小説という表現様式においては、あくまで登場人物の脳内を言葉に起こすとつまりこういうことです、というテイで読み進めることが大切だ。

すでに投げ捨てた人生なら、この先の日々は余分というか、楽しみこそすれ惜しむようなものではないのかもしれない。

「ゆすらうめ」

「ゆすらうめ」に出てくる主人公のチンピラはこのようなつもりでいたのに、最後には大切な人を守りたくてさいはての家をあとにする。他のヤクザに追われての旅立ちでいかにもこのあと死にそうなんだけど、きっと「死にたくなかった」「帰りたかった」と死の間際に本気で思えるということは、この人の人生における幸せだろうと思う。

鱗を光らせた赤白黒の艶やかな地獄が過ぎた頃、影法師は穏やかな声で続けた。

「お前がうたたねをしている姿を見たことがある。うっすらと暖かい日でね。-中略- 障子戸のすき間から伸びた日差しが、お前の足首を染めていた。こつんと突き出たくるぶしの骨だとか、皮膚からほんのり透ける桃色だとか、くぼみに指を当てれば血管が生真面目に脈打っているのだろうなとか、そんなことがたまらなく嬉しく思えて、いいものを見た、って羊羹をぶら下げたままで涙が出た。そんな一日があったんだ」

庭に、すうっと心地よい風が抜けた。

「ひかり」

日本人作家の読みやすい小説を読んでいるつもりだったのに、ここを読んだときは中南米魔術的リアリズム小説と同じ感触がした。この文章は「ひかり」というタイトルの、年老いた新興宗教の教祖が主人公の作品の、ほとんどオチに当たる部分なのだけど、ここに行き着くまでを読んでくると、"庭に、すうっと心地よい風が抜けた。" のところですごく気持ちよくなれる。それによく考えると、呪いが解けて自分(名前)を取り戻すのはファンタジーの王道展開だ。彩瀬まるが書いたのを読めてよかったなと思う。

5話すべてに何か恐ろしいものが出てくる。主人公の狂気、希死念慮、ストーカー気質の恋人、トラウマ、思い返すとなんでもある。それら全てが本当に恐ろしく、この作品はファンタジーであると同時にホラーでもあると思う。

私が一番怖かったのは「はねつき」だ。駆け落ちしてきた主人公の若い女と歳上の妻子持ちの話で、女が恋愛ファンタジーから覚める過程が詳らかにされている。女はたぶん一緒に逃げてきたことも、この男と別れることも後悔しないし、今度は脳裏に真っ白を思い浮かべてやりすごすこともしないと思う。

どの話も逃げてきた人たちの物語なのだけど、いつもきちんと一時避難先でなく再出発した現実の側に希望を見せて終わっていて、生と対峙する強さを感じた。自分にないものが眩しいのはいつものことだけど、好きな作家にやられると堪える。