されど私の可愛い檸檬

 

中編が3つ、どれも面白い。

私にとっては最初に収められている「トロフィーワイフ」がひどかった。器用で卒のない姉・棚子と、その姉から距離をとって暮らす妹・扉子の話。

姉が夫のある発言を理由に夫と暮らす家から家出して、友人の家に転がり込むところから始まる。最終的にその発言に対する妻の理解が間違っていた、みたいに妹に口出しされて棚子が家に帰ることになる。

この書き振りからもわかるように私は最後まで姉・棚子の味方だった。夫が私のことを、この世に二人といない、特別で素晴らしい運命の人であり、彼女を失うなんて考えられない、と思わないなら、思っているように見せかけることもできないなら、少なくとも関係性を継続する意味はない。

私は私の幸せと不幸せがかけがえのないものだと知っているし、それは他の誰かや何かによってはもたらされないものなので、まるでそれに別の可能性があるかのような、私が他のものによって幸せになる可能性があったかのような言説には全く共感できない。あの夫が自分が何を言ってしまったかを理解しないなら永遠に私の前に姿を現さなくていいと思うし、妹にいたっては出てくる必要がないと感じた。棚子もそんなこともわからなかった夫とこの先もずっと一緒にいることはできないんじゃないかなと思う。

小説の内容全拒否で泣いたらスッキリした。通り魔に襲われに行くみたいな読書になってしまったけど、読まないよりは読んだほうがいい、他2作も同様にえぐい。

 

パーマネント神喜劇

 

 

スッと買ってパッと読んだ。小さな神社のマテバシイに宿る神様が主人公で、関わる人間ごとに4つのパートに分かれている。私は近所の寺や神社のことを大体これくらいの感じのものだと思って暮らしているので全然違和感がなかった。

しかしトシとシュンのパートでは、"結婚したら夫の姓になる" を疑わない記述があったので、平成初期くらいの作かなと思ったら2017年だった。他にも、教師が児童たちに向かって、転校した子に手紙を書くよう促す描写もあるので、作中の時代設定は少し前なのかもしれない。

全般に今今の社会より少しのんびりした雰囲気の世界で、かなり人間臭い神様が、人間たちの手助けをしたり他の神様とお話をしたり、奇跡の復活を遂げたりする、ハートフルストーリーだった。神都合の時間操作などにより単純な長さ以上の読みごたえがあるし、私が日常感じたり信じたりしている虫の報せ、嫌な予感、吉兆、そういったものの機微がキラキラと散りばめられていて、よくわかった。神の"いる"世界。

主人公が縁結びの神様なのでバレンタインやクリスマスをありがたがってるのも良くて、神様ジョークが好きな人、つまるところ聖⭐︎おにいさんが好きな人全員におすすめ。

 

マダム・プティ10,11

 

 

ずっと買っていた少女漫画が完結していたので、買って読んだ。美しい人の心根を描くために、時代の設定が必要になっているような気がした。

表現の一環として艱難辛苦を乗り越える必要がある場合に、法治や、福祉の介入や、時間や場所を問わない連絡手段は、邪魔になることが多いのだと思う。

主人公の一途さが美しくて眩しかった。幸せがそういう形をしていることもあるのだろう。

 

阿・吽(10)

 

随分前に買って読んでいなかった。友人から完結したと教えてもらったので、今度買うときには残りの分を全部買おうかな。
相変わらず絵がとにかく美しくて気持ち悪くてコミカルで、話の筋なんて半分くらいしかわかってないけど面白かった。ただ、特に何の説明もなく僧侶同士が僧侶パワーで力比べをしたりするので、あまり漫画リテラシが高くない私は、おお、漫画だ...と思ってもう一回集中しなおすなどした。

これみんなついていけるの、と少しは思うのだけど、漫画においては少年漫画でも「ゴオオオオ...」みたいなオーラや気合いの戦いが頻出するので、多分全然大丈夫なんだろうな。ワンピースも覇気の概念あるし。(もうかれこれ20巻分くらい読んでいない)
完結したことを教えてくれた友人は1巻からまとめて買おうか迷っているみたいで、最初の方は私の友人をやるような人であればどなたにでも完全におすすめだったのだけど、物語がここまで進むと覇気概念に違和感を持たないタイプの人にしか勧められないかもな、と思った。聖書を学ぶためのステンドグラスとか昔話の紙芝居のように、不要なディテイルが排され読み聞かせる者と受け取る者を信頼しているタイプのコンテンツを愛する人間にこそおすすめだと思う。

 

イスラム2.0

 

少し前にSDGsの17のゴールを見ながら選んだ本、どれに対応しているのかは忘れたけど。
一般のイスラム教徒がWebでコーランや啓示を検索できるようになり、YouTubeで説教を聞くようになった後のイスラム教のことをイスラム2.0と定義し、イスラム2.0における各国の状況や取り組みについて紹介している本。最後の章では、日本でイスラム教徒と共生しようとする際の具体的なアドバイスも書いてある。

実際のところはわからないな、と思う部分もあったが、私がイスラム教やイスラム法イスラム国家についてあらかじめ知っていることが少なすぎて、単に役に立った。

答えのなさ、という意味では本当に開かれた本で、この本の中には、先に並べられたイスラムに関する事実を受けて、これからはどのようにイスラムと付き合えばよいのか、どのようにすれば異教徒たる私たちは不幸にならずに済むのか、人権は守られるのか、経済活動は守られるのか、ということについては書かれていない。
(私は、一人にできることは限られているし、誰にもどうすることもできない部分もかなり大きそうだという感触を持った。)

音楽と偶像崇拝が禁じられるイスラム教に私が改宗することや、同性愛に量刑を定めるイスラム法治の国に私が住むことはないけど、私の住む街にもイスラム教徒は沢山いる。そういう人たちと、当たり障りなく、かつ長期の相互的な悪影響を生じさせることなく暮らしていくには、理解と諦めが肝心なのだろうと思った。宗教に限らない多くの社会的な関係もそうだけれども。

文章があまりに歯切れが良すぎて笑ってしまったところがいくつかあって、文脈は書かないけど一箇所引いておく。

暴力的ジハードは啓典に立脚したイスラム教の正当な教義ですが、世界征服を目指して異教徒と戦い続けるという教義は、近代社会のあらゆるルールに違反しています。

特に後半がよくて、本当にその通りであることを指摘してるだけなのに、内容が強烈すぎて面食らってしまった。何らかの宗教の教義が、別に最初からそれを目的として定められたわけではないのに、”近代社会のあらゆるルールに違反して”しまうなんてことがあるんだ...と一旦は思って、でもイスラム教の場合は啓典をなるべく文字通りに受け取る、という伝統があるからそれが鮮やかなだけで、各種宗教の聖典を文字通りに理解したら、近代社会とは相容れないものの方が多いんだろうな...という感慨になった。


宗教のことはもっと知りたい。世界を構成するとても大きなファクターだと思う。

 

カラフル

Amazon Prime VideoでHOMESTAYという映画を見た。アマプラ配信限定の作品らしい。

 

 

この作品の原作である「カラフル」は森絵都の作品で、児童書のコーナーにあった本だ。

今は文春文庫から出ているらしい。

 

私はこの本を持っていなくて、図書館で2回借りて読んだ。普段同じ本を2回読むことはあまりないのだけど、2回目の時はなんとなくジャケットで借りたら中身が知っているものだったのだ。

そのこと自体は覚えているのに、小説の中身は冒頭以外ほとんど忘れていて、そうだったそうだった、と思うこともなく見終えた。でもそのまだ背が伸びていた頃の思い出がなければ、配信限定の、高校生が主役の映画を今見ようとは思わなかっただろうと思う。この映画を作った人も「カラフル」に思い出があったのだろうか。

そう思って森絵都の作品のあらすじを確認したら、設定から何から全部違っていた。そりゃ何かを思い出すはずない。この映画を作った人は本当に「カラフル」に思い出があったのだろうか。

残念ながら原作のことをはっきりと好きな人に薦めていいかどうかわからなくなってしまったけど、なにわ男子長尾くんのまつ毛が終始いい仕事をしているし、屋上や下駄箱の撮り方やら、映画っぽい格好いい画も沢山あったので見応えはあると思う。

しかし全体に物語の必要のために犠牲になっているものはあって、私は完全な無視はできないかなと思った。

作中主人公が女の子とデートするのだけど、そういう恋がキラキラするシーン大好きだからウワーキラキラしてきたあああって見てて、アートアクアリウムに行って水槽越しに手合わせしたりする。すんってなっちゃう。アートアクアリウムで水槽をベタベタ触らせるのはやめた方がいい、お約束なのはわかるけどやめてあげてほしい。アートアクアリウムを選ぶこと自体は高校生だしね...って思えたけど私の美月先輩(八木莉可子)は育ちがいいからそんなことしないんだよ。

”花火みたいな大きな景色の前で二人の思いが通じ合うやーつ”のシーンがマスゲームで代替されるのとか、本当映画っぽくて好きだったんだけど、それもあの土壇場で痴情のもつれに巻き込まれて図案が差し替えられながらも大人しくマスゲームやってるモブの気持ち考えるとやってられなくはあり、まあしかし学校生活ってそういうクソなものではあったんだし、あの二人の関係性を表現するシーンのためには仕方ない、っていうのもあった。

作中のアウティングのシーンも、中学ならまだしも今の高校生がああいうふうにカップルを囃し立てる(それがレズビアンカップルだからなのかレズビアンカップルなのになのかはわからないけど)のだとしたらしんどいしなーと思った、あれには相応のリアリティが今でもあるんだろうか。

他にも父や兄の改心の仕方がそうだったのだけど、物語の物語性を成立させるために、登場人物たちが醜く杜撰に、あるいは美しく簡便に描かれているように感じるところがあった。

それでも原作が持っていた構造のシンプルな強さは生かされた結果、エンタメとして成立していたように思う。美月先輩が眩しくて仕方なかったのが本当らしくてよかった。好きな感触の作品だった。

音楽のホーンセクションは観測範囲にいるミュージシャンの皆さんで、ご活躍何よりだった。ライブハウスに通う習慣を少しくらい取り戻したいな。

ずっと独身でいるつもり?

 

 

市川実和子見たさに観た。ベストセラーを出したライター(田中みな実)と、そのベストセラーをバイブルにして生きてきたファン(市川実和子)、その同級生の子持ち専業主婦(徳永えり)、ギャラ飲みパパ活女子(松村 沙友理)、の恋愛や結婚をめぐるなんやかやの映画。

元のエッセイは2012年からの連載だっただけあって、さすがに時代を感じる。苗字を当然女が変えると思っているリベラル面した都内住み商社マン、さすがに今なら「どっちが変える?」と一応は聞くくらいのポリコレが育っていて欲しいし、子を希望して36の女と結婚するのにブライダルチェックに関して全く知識入れない無能の数は減っていて欲しい、どこぞの商社のためにも。(田舎の風景は流れる時間の遅さでもしかしたらこういうワールドも…?と一瞬思ってしまって私の解像度の低さが露呈したのだけど、たぶん多少はマシになっている、と信じたい。)

その他圧力のかかり方はこの10年で変わっているよなと思いつつ、その乗り越え方は今も昔も変わらない、と思える映画だった。エッセイが漫画を経て映画になる間に取り入れられた要素がどれか、私にはわからないのだけど、目下ジェーン•スーと堀井美香のOVER THE SUNを聞き漁っている私としては "互助会" のキーワードは聞き逃せなかった。結婚をしてもしなくても、助け合いを必要とするときは来る。そのとき、助けたい誰かのヘルプに気づくために、助けてくれる人にヘルプを出せるために、お互いに無理をしない範囲で助けることに納得するために、なにがしかの連帯をすることが大切なのだと思う。もし今、誰かのために差し出せるリソースが少なかったとしても、誰かの助けを必要としてなかったとしても、いつかのために(もちろん日々の愉しみのために)便りをするのだ。

この作品が掬っていたものは女性たちの悲喜交交だけではなくて、男性たちの個性もきちんと描き出されていた。主人公の父親は典型的な田舎親父、主人公の婚約者はモラおばけ、主人公のおじは周囲から"自由人"と思われているタイプだった。港区女子のパパは女のカバンが前と同じなのに気づくタイプで、同じクズでも田舎親父とは違う種類のクズだった。専業主婦の夫は悪気のない子供だ(った)し、主人公の担当編集者はたぶん本当に幸せな結婚生活をしている。そして対妻、対恋人でなければ、また別の顔があるのだ。フェミニズムの一部の主張において家父長制を(積極的/消極的に)支持する男性は、"敵" と見做されて十把一絡げの顔のない存在にされがちだ。でも彼らもまたグラデーションであり千差万別だということがわかる。

ジェンダー論ではしばしば男や女を一般化して語ることがまかり通るし、必要にもなるのだけど、実際にはそれぞれの男と女に顔と身体と精神があってそれぞれが生きているってことを、こういう創作物が思い出させてくれるのだと思う。