ずっと独身でいるつもり?

 

 

市川実和子見たさに観た。ベストセラーを出したライター(田中みな実)と、そのベストセラーをバイブルにして生きてきたファン(市川実和子)、その同級生の子持ち専業主婦(徳永えり)、ギャラ飲みパパ活女子(松村 沙友理)、の恋愛や結婚をめぐるなんやかやの映画。

元のエッセイは2012年からの連載だっただけあって、さすがに時代を感じる。苗字を当然女が変えると思っているリベラル面した都内住み商社マン、さすがに今なら「どっちが変える?」と一応は聞くくらいのポリコレが育っていて欲しいし、子を希望して36の女と結婚するのにブライダルチェックに関して全く知識入れない無能の数は減っていて欲しい、どこぞの商社のためにも。(田舎の風景は流れる時間の遅さでもしかしたらこういうワールドも…?と一瞬思ってしまって私の解像度の低さが露呈したのだけど、たぶん多少はマシになっている、と信じたい。)

その他圧力のかかり方はこの10年で変わっているよなと思いつつ、その乗り越え方は今も昔も変わらない、と思える映画だった。エッセイが漫画を経て映画になる間に取り入れられた要素がどれか、私にはわからないのだけど、目下ジェーン•スーと堀井美香のOVER THE SUNを聞き漁っている私としては "互助会" のキーワードは聞き逃せなかった。結婚をしてもしなくても、助け合いを必要とするときは来る。そのとき、助けたい誰かのヘルプに気づくために、助けてくれる人にヘルプを出せるために、お互いに無理をしない範囲で助けることに納得するために、なにがしかの連帯をすることが大切なのだと思う。もし今、誰かのために差し出せるリソースが少なかったとしても、誰かの助けを必要としてなかったとしても、いつかのために(もちろん日々の愉しみのために)便りをするのだ。

この作品が掬っていたものは女性たちの悲喜交交だけではなくて、男性たちの個性もきちんと描き出されていた。主人公の父親は典型的な田舎親父、主人公の婚約者はモラおばけ、主人公のおじは周囲から"自由人"と思われているタイプだった。港区女子のパパは女のカバンが前と同じなのに気づくタイプで、同じクズでも田舎親父とは違う種類のクズだった。専業主婦の夫は悪気のない子供だ(った)し、主人公の担当編集者はたぶん本当に幸せな結婚生活をしている。そして対妻、対恋人でなければ、また別の顔があるのだ。フェミニズムの一部の主張において家父長制を(積極的/消極的に)支持する男性は、"敵" と見做されて十把一絡げの顔のない存在にされがちだ。でも彼らもまたグラデーションであり千差万別だということがわかる。

ジェンダー論ではしばしば男や女を一般化して語ることがまかり通るし、必要にもなるのだけど、実際にはそれぞれの男と女に顔と身体と精神があってそれぞれが生きているってことを、こういう創作物が思い出させてくれるのだと思う。