カラフル

Amazon Prime VideoでHOMESTAYという映画を見た。アマプラ配信限定の作品らしい。

 

 

この作品の原作である「カラフル」は森絵都の作品で、児童書のコーナーにあった本だ。

今は文春文庫から出ているらしい。

 

私はこの本を持っていなくて、図書館で2回借りて読んだ。普段同じ本を2回読むことはあまりないのだけど、2回目の時はなんとなくジャケットで借りたら中身が知っているものだったのだ。

そのこと自体は覚えているのに、小説の中身は冒頭以外ほとんど忘れていて、そうだったそうだった、と思うこともなく見終えた。でもそのまだ背が伸びていた頃の思い出がなければ、配信限定の、高校生が主役の映画を今見ようとは思わなかっただろうと思う。この映画を作った人も「カラフル」に思い出があったのだろうか。

そう思って森絵都の作品のあらすじを確認したら、設定から何から全部違っていた。そりゃ何かを思い出すはずない。この映画を作った人は本当に「カラフル」に思い出があったのだろうか。

残念ながら原作のことをはっきりと好きな人に薦めていいかどうかわからなくなってしまったけど、なにわ男子長尾くんのまつ毛が終始いい仕事をしているし、屋上や下駄箱の撮り方やら、映画っぽい格好いい画も沢山あったので見応えはあると思う。

しかし全体に物語の必要のために犠牲になっているものはあって、私は完全な無視はできないかなと思った。

作中主人公が女の子とデートするのだけど、そういう恋がキラキラするシーン大好きだからウワーキラキラしてきたあああって見てて、アートアクアリウムに行って水槽越しに手合わせしたりする。すんってなっちゃう。アートアクアリウムで水槽をベタベタ触らせるのはやめた方がいい、お約束なのはわかるけどやめてあげてほしい。アートアクアリウムを選ぶこと自体は高校生だしね...って思えたけど私の美月先輩(八木莉可子)は育ちがいいからそんなことしないんだよ。

”花火みたいな大きな景色の前で二人の思いが通じ合うやーつ”のシーンがマスゲームで代替されるのとか、本当映画っぽくて好きだったんだけど、それもあの土壇場で痴情のもつれに巻き込まれて図案が差し替えられながらも大人しくマスゲームやってるモブの気持ち考えるとやってられなくはあり、まあしかし学校生活ってそういうクソなものではあったんだし、あの二人の関係性を表現するシーンのためには仕方ない、っていうのもあった。

作中のアウティングのシーンも、中学ならまだしも今の高校生がああいうふうにカップルを囃し立てる(それがレズビアンカップルだからなのかレズビアンカップルなのになのかはわからないけど)のだとしたらしんどいしなーと思った、あれには相応のリアリティが今でもあるんだろうか。

他にも父や兄の改心の仕方がそうだったのだけど、物語の物語性を成立させるために、登場人物たちが醜く杜撰に、あるいは美しく簡便に描かれているように感じるところがあった。

それでも原作が持っていた構造のシンプルな強さは生かされた結果、エンタメとして成立していたように思う。美月先輩が眩しくて仕方なかったのが本当らしくてよかった。好きな感触の作品だった。

音楽のホーンセクションは観測範囲にいるミュージシャンの皆さんで、ご活躍何よりだった。ライブハウスに通う習慣を少しくらい取り戻したいな。