透明な夜の香り

 

 

(以下全編ネタバレ)

 

 

 

 

 

 自死遺族である女性が、尋常でない嗅覚の持ち主である調香師の屋敷で家政婦として働く話。

 

 主人公は兄の死から一年ほど経った頃、突然出勤できなくなって前職を辞めた。半年程引きこもったあとにこの屋敷の求人広告を見て応募する。そういう人がこんなに緻密に働けるものだろうか、と思うのだけど、対人ストレスの形が違うから平気だったのかもしれない。この調香師に何かを隠すのはとても難しいのだけど、 "この人に何かを隠しても無駄だ" と悟ると、むしろ楽になるようなことってあるし、もしかしたら主人公もそうなのかも。

 この小説の結末は腑に落ちない。ある出来事をきっかけに家政婦の仕事を辞めてしばらくたった女性を、調香師が訪ねてくる。和解のような会話を経て、ほとんどラストシーンで、女性が "友人として(屋敷に)遊びに行く" 、という。あの家の仕事がなくなったわけではないのに、どうして友人としてなのだろう、と不思議に思っている。他に適任者がいたわけでもないだろうに。

 対等な友人関係では、香りを調香師の思うようにするために自家製の日用品を支給したり、日焼け止めを塗らせなかったりできないだろうし、調香師の相棒である探偵が吸うタバコの匂いを受け入れているのと同様に、主人公の匂いを受け入れるということなんだろうか。 あるいは現時点では友人と言っているだけで、遠からず香りを共有する近しい関係を想定しているのか。意味が取れなくてやや混乱したのだけど、まぁなんであっても、やっとそういう、あなたとお近づきになりたいです、ということをお互いに示せるようになった、丁度のところで小説が終わっているのだと思う。固い蕾が綻ぶまでの物語。

  主人公の生活は、(巣立ちまで含めて)保護された野鳥のような経過を辿る。屋敷というサンクチュアリで、調香師の庇護管理下に置かれることで内部的に癒やされていく過程が描かれているのだが、彼女が屋敷での仕事に馴染むほどに、彼女がどこにどのような傷を持ち、どのように弱っていたかが明らかになっていった。

 野生では弱っていても元気なふりをしなければならないから、傷を隠さなくていい環境は生き物を安心させるのだと思う。彼女にとってあの屋敷は世間から隔絶されたシェルターのようなものなのだと感じた。

 お話の筋がよくわからないみたいなことを書いておいて申し訳ないけど、記憶と傷と手当、他者のわからない感情や傷に触れることが丁寧に綴られていて、じんわりと光る癒しの魔法に触れ続けているような気持ちで読んだ。蒸しタオルを顔に乗せてもらったときの一息目を吐くときみたいな瞬間が何度もあって、自分がどのように強張っているかは、吐いてみるとわかる。