マルテの手記

 

 

 たしか9月の終わりに最初のページを開いて、12月の最初までかかって読み終わった。実際文字を追っていたのは5時間そこそこだろうと思うが、時系列が整っていない断片的な文章を読むことになるせいか集中できるきっかけを逃していた。文章自体はそれほど読みにくくないのだし、と思って後半は一気に読んだ。読み終わってから、そのバラバラさは、ひとりの人間の記憶、あるいは同一性、連続性と言われるようなものの有様を表しているように感じた。

 一番印象に残っているのが、少年時代のマルテがおじの家に滞在している間に、既に亡くなっている女の人が現れる場面で、そこだけホラー映画みたいに映像で想像しながら読んだ。もうひとつはアペローネと本を読んでいるところ。最初の独白の部分で、彼が28歳の青年で、半ば生に絶望しながらもがいているような状態だ、ということを読んでいるからこそ、回想と思われるような部分が鮮やかに映るのかもしれない。

 最後の方は興が乗ってきて、シャルル6世のことや、「ゲーテとある子供の往復書簡集」のことを調べながら読んだ。リルケが当然のように引用するものについて私は何一つ知らない。調べたところで100年以上前の文化習俗、あるいは本気の古典なので距離を感じるのだけど、一方それらを引きながらマルテが紡ぎ出す人間の苦悩のようなものは、すぐそこに、触れるものとしてあった。

 J-POPの歌詞でも、当時の語彙を理解できなくても、それでも伝わるものがある、それでも詞として美しかったり面白かったりするものが残っていくのかな、と思うことがある。プライベートの関係では、受話器をとることも電話をかけてくる相手の名前がわからないことももうあまりないけど、「Automatic」は再発見され続ける。

結局古典を読むたびに感じることを今回もなぞるように考えていて、これ一冊を読んでもリルケのことはなにもわからなかったから、佐野洋子に教えてもらいながら次のリルケを読むしかないのだと思う。