ある島の可能性

 

お盆が明けたら日本人作家の気分がかげって翻訳ものを読んだ。ウエルベックの3作目の長編、2005年刊行のSF小説だ。(犬が複数回死ぬので無理な人は読まないで欲しい。)

21世紀時点での現生人類は文明を失い殆ど滅んでいる。約2000年後、光合成できるように遺伝子を改変されたネオ・ヒューマンたちが、代々同一の遺伝子を受け継いで生きている。

作品は滅んだ現生人類ダニエル1の人生記と、その遺伝子を継承したネオ・ヒューマンダニエル24およびダニエル25による注釈で構成されている。ダニエル1はフランスで成功した、風刺や諧謔を評価されるコメディアンであったが、彼が書いた彼自身についての福音書を、ダニエル24と25が読みながら感想を書いているのを、読者が読む、という構造だ。作中にはネオ・ヒューマンを生み出すきっかけとなったカルト宗教が登場するが、この作品自体が聖典の形をしている。

主人公ダニエルについて言えば、ウエルベックの小説に出てくる男性にありがちなことだが、マジでペニスの話しかしない。いやこんなにペニスとセックスと性欲まみれだったか?と思い返して、まぁそこそこそうだったか…と納得をするのを繰り返していた。私が最初に読んだのが「地図と領土」であったせいで、遡って作家が若いときのものを読むと余計に鼻につくのかもしれない。全ての男性がそうかはともかく、ウエルベックの暮らしがもしこのようにペニスにドライブされていたんだとしたら、さぞかし大変だろうなと思う。

結局そう思わせる程度にはそのような男性の人生がどのように困難で虚しいか、豊かで喜びに満ちているかが描かれており、まぁウエルベックが本当に好きな人は心酔して読んでるし、ウエルベックの悪口を心置きなく言うためにウエルベックを読むタイプの人もぶちぶち言いながら読んでいることでしょうというかんじだった。私はどちらかと言えば後者だ。ウエルベックの文章にしか感じられない、男性性の気持ち悪さを酷薄に描き出すある種の軽妙さを嗅ぎたくて読み始め、作家が女性を常に客体として扱うことにしているようであることを彼なりの誠実さと見做すことによりギリギリ女性蔑視への嫌悪感を理由に本を放り出すことなく読み終えている。かなりギリギリではあるが、女性が思うようにならないこと、女性のことは彼にはわからないこと、女性には意思があることを作家がわかっていれば、男性について同じことを思っている私には今のところ十分だなと思う。ウエルベックは任意の架空女性に自分にとって都合のいいセリフを吐かせるようなマネをしない。ペニスとヴァギナに塗れた文章が下品にならないために必要なことだと思う。

最終的にダニエル25が出奔し、生きることに接近するところは感動的だった。思い出すだにため息が出る。