ゼラニウム

 

 2002年の短編集。日本人作家の気分がどうの、と言ったわりに日本人の名前ではあるのだけど、堀江敏幸はフランスものの気持ちのときに読むから、この位置は仕方のないこと。6篇収められていて、どれもよい。(正確にいうと表題作に出てくる、生理用品の比喩は気味が悪くて受け付けなかった。)

 印象のあるのは「さくらんぼのある家」だ。梶井基次郎の「櫻の木の下には」がフランス語で引用されていて、そうと知らずに文章を辿ったときの、これは知っている文章で、しかももうほとんど忘れた外国語になってもなお鮮烈であるという驚きと、そういう強い引用を衒いなく行うことへの好感が忘れがたい。
主人公は友人夫婦の披露宴に招かれたあと、成り行き上新婦の家に泊まることになる。道中のちょっとした緊張、家についてからの奇妙な静けさ、”私”の落ち着かない気分、その後に訪れる開放。比喩表現として読めばNTRが透けるのだけど、まあそんなことはどうでもいいな。

 それぞれの作品の情景それもエッフェル塔とか水道橋とかでなく、もっと限定された部分、たとえば内装の済んでいない部屋でのディナー、ちゃぶ台で飲む紅茶などを、おそらく私は既視感として思い出すだろう。これを読んだことがある、なんでだったかな、たぶん短編集なんだけど、思い出せない。そういう薄れてはいくけれどなかったことにはならない、ざらついた記憶の連なりが書かれてあった。

 「梟の館」ではまたロラン・バルトの引用に出会った。今回は「明るい部屋」じゃなくて「日本論」だった。もうほんとうに諦めて読まないといけない。解説は大竹昭子、とても几帳面でちゃんとした、好きな解説だったから大竹昭子も読もうかな。