バーティミアス サマルカンドの秘宝

 

 

 

友人と幼い頃に読んでいた本の話をしていて、小中学生向けのファンタジーなのに聞いたことのないシリーズだったので悔しくなって1巻分買っておいたのを読んだ。3冊読んでやっともとの1冊分だ。イギリスのファンタジーらしく、主人公の魔術師の少年も、彼に使役されるジンも、かなり厳密に区分された階級に所属している。この世界において魔術師たちは一般市民を下級市民と見做して支配しており、この世界観がたぶん、今後この少年とジンのコンビが活躍することで覆されてゆくのではないかなと思う。本作では、少年が"意外とやる" ということがわかった、くらいのところまでだったので、2巻以降が楽しみだ。すごいネタバレなんだけど最後に出てくるなんでも食べちゃうラスボスが透明の体の持ち主でね、もののけ姫を思い出した。透明で気持ちいいものの中に閉じ込められてるような日に読んで、神々しくて透明なものはいいな、と思っていた。

 

以下雑記

友人がFF比が大きくなるのを気にしない人で、どうして私はフォロイーを増やすのをやめたのか思い返してみた。いくつか理由はあったと思うのだけれど、ある程度フォロイーを増やすと、"100パーセントフォロバします!”みたいな業者ないし絶対に分かり合えない人類にフォローされるのが煩わしかったのを思い出した。
あの、インターネット上の人のようで人でないものが纏わりついてくる感触は、おっことぬし様に猪の皮を被った唐傘連が纏わりつくのを見たときのゾワッとする感覚に似ている。猪のようで猪ではない、気持ちの悪いもの。
インターネットは簡単に人を人でなくしてしまう。仕事として誰かを騙すためにSNSをする人もいるし、なんらかの属性に対するヘイトを募らせた人の中には、およそ人間に対面していたら口にすることはないだろうような罵倒を口にしてしまう人もいる。生きている人間の気配を感じたくてインターネットを見ている人間からすると、そういう存在は海に浮かんでいるゴミのようなものなのだけど、汚い海でも飽きずに潜っていると、ときどきキラキラした小魚や美しくゆらめく海藻を見つけることがあって、全くインターネットを介した交信がないよりはいい暮らしをしているように思っている。やめた方が精神状態が良くなるような時っていうのは、結局自分が見たがっているものとか、読みたがっているものがゴミなんだと思う。インターネットだって現実世界と地続きで、ただちょっとどこにいて何を見るかが選びやすいだけなので、マシな世界を見たかったら、ゴミを選んでしまう自分をもう少しかわいがってやった方がいい。