人間の土地

 

今は新訳もあるらしいのだけど、たまたまひらいたら巻末に宮崎駿がイラスト(地図)と文章を寄せていたのに出会いを感じて買った。出会いを感じる、という言い回しは絶対におかしいけど、馴染みのある筆致で "A.ギヨメ アンデスに不時着" と書いてあるのを見て、別に良いとも悪いとも思わないでその日のラインナップに入れたのだった。

 

訳は堀口大學でさすがに古めかしいけど原文との時代的な距離は近かったわけで、私は同じ理由で古い訳が好きなことが多い。本格推理小説とか。

 

内容は彼の郵便飛行士としてのめくるめく冒険譚の数々、でありつつ、同時に命のかかった飛行(あるいは何百キロにも及ぶ歩行)から見出した世界や人間の在り方に対する思想の叙述なのだけど、面白かった。

生まれた土地で安穏と暮らして、「失敗したら死ぬ」のは道路を渡るときと階段を降りるときだけの人間には、毎度毎度まあまあの確率の死を計算に入れて飛行機に乗り続ける人間の考えることはわからないのだけど、わからないからこそ、もし自分も砂漠に墜落してあと2時間で死ぬくらい体の水分を蒸発させたら、そんなふうに感じるのかもしれない、と思えるのだ。

大人になると「もし私が〇〇したらほんとうにこうなるかも」式に物事を考えるのは難しくて、なぜなら「もし私が〇〇したらここでこうする」がある程度わかってしまうからだ。作中で何万人も死ぬような戦争映画ならその何万人の中に入ってるし、誰にも解読できなかった暗号を最初に読むのは私じゃない。私は勇気を出して告白しないし、失恋したからって海で叫ばない。

それでいうとそもそもパイロットにはならないんだけど、でも何かで遭難して人のいないところを彷徨うくらいのことは、ないか。ないけど、確かなこととして、いつか私も死ぬ。死に直面したとき、サン=テグジュペリと同じ境地に至ることはあるかもしれない。そう思えたのがうれしかった。いつか、もしかしたら。