酩酊

今現在進行形で、お酒を飲んでいる耳にBUMP OF CHICKENの「天体観測」を流し込まれている。私が小学校高学年の時にラジオで繰り返し聴いて、その後バンドサークルでコピーバンドを何度も聴いて、同い年の友人に誘われてアリーナツアーで聴いて、個人的に再生することなんてここ何年もなかったのに歌詞を大体覚えているような曲を、年下の友人は「聴いたことある」と言う。

ジェネレーションギャップがびーんみたいな話ではなくて、そういう体験を共有しているということが、如何に局地的な、瞬間的なことかに気付かされた。

誰かにとって運命的だと感じられるような共感や、共時的な体験は、数々の偶然の積み重ねの上に奇跡のように訪れるのだと思う。その瞬間を捉えて幸せのありようを胸に刻めるか、そうでないかは当人のそれまで培ってきた感性や、それに相対することになった時のコンディションによるのだけれど、むしろそういうものに頼り切って人生の舵を切ることの簡単さを思った。

ぎりぎり通い合わない血や通じ合わない思い出を、頼りない交信手段で繋いで、あらかじめ予定されていない関係性を削り出せたら、と思う。神様の奇跡がつくる光の輪からいっとき抜け出して、カーテンの影で悪さをしたい気持ちがある。今のところそんな大層な力は私には備わっていなくて、祝福よろしく同じ星のもとに生まれた人間と繋がりながら生きていくのが相応だろうとは思うのだけれど、薄い薄いつながりを目の当たりにすると、この縁に形を取らせるために必要なのは何だろう、と考えてしまうときがあるのだ。実際のところ差し出せるもの、分け与えられるものが何もないのにそれを考えるのは少し切ないことで、同時に罪悪感を惹起するのだけれど、目の前にあるように見えるキラキラした感情の流れに手を差し入れてみたい気持ちがそうさせるのかもしれない。

触れなくても見ていたいものはいくつもあって、そういうものたちの輝きを邪魔しないために、その輝きを眺められる位置を確保するために、私にできることって何があるだろうか、ということが、案外最近のテーマかもしれない。

2022.5.7