何者

 

就職活動をする学生4人を中心とした群像劇。主人公である二宮拓人の一人称視点なので群像劇というと語弊があるかも知れない。

小説のオチの部分はアクロイド殺し方式だった。もしかしたら作中人物の顔が読者の方を向いているように感じさせる効果があったのかもしれないのだけど、私は光太郎以外の全員があんまり簡単に「本当に思っていること」を言ってしまうこと、それを言うことで自分や相手から失われるものについて考えているように見えないことなんかにかなり引いていて、私もまた「何者」である、みたいな素直な感興を抱けなかった。人間の醜いところや、美しいところを描き出すことにかけてこの作品は素晴らしいと思うのだけど、その発露として、「登場人物が自ら喋る」という手段がしばしば取られることが、私には 「お話だから仕方がない」の範疇のこととしてしか捉えられなかったのだ。表現手法が演劇的であった、とも言えるかもしれない。

自分の生活がインターネットに浸かっているせいか、インターネット上の発言を殊更に自意識の発露として捉えたり、リアルでは言えない本当の気持ちを書いているはずだと考えたりすることが感覚的にわからない。でもこの小説が発表された平成24年当時なら、あるいは私が就職活動をきちんとしていれば、もう少し身近に感じるところがあったかもしれないなあと思いながら読み終えた。