繰言

現実が二重写しになってから数年が経って、いい加減多重露光にも飽きて違うことを考えられないかと足掻いているせいで初詣で手を合わせる時間が長くなった。同じ道を歩けば何度も何度も練習したさようならをパラグラフごとに思い出す、それで歩くのをやめて、今度は歩いたら一瞬で飛んでしまうのではと恐れが膨らんでタクシーを使う。おそらく足を動かしてみれば暑かったり寒かったりくしゃみをしたり虫が顔に当たったりしてそんなにひどいことにはならないのだろう。コントロールしようとするのを諦めた方がいい、もしいつかかけらも思い出せなくなって絶望することになっても、美しい景色を忘れることができずに死ぬことになっても、それでいいと思ってそうしたのだから。