イルカと墜落

 

少し前に古本屋で買ってあって、積読の中から夏らしいのを選んだら国文拓ディレクターと沢木耕太郎によるリアルジャングルクルーズだった。なので私の頭の中の彼らは概ね映画『ジャングル・クルーズ』(2021,Disney)風味の景色の中を進んでゆくことになる。(余談だが今年の夏はこの映画に旅行したい欲をだいぶ埋めてもらった。エンタメ愛勢は見て下さい。)

以前も書いたけれど何を食べ、何を眺めたか、ごく具体的に書いてある。記録というのは贅沢だなと思う。そのままでは時と共に曖昧になるだろう、覚えていないことを残念がることすらできないだろうような事柄が、至極簡潔に、最低限の即時的な意味づけだけを施されて記されている。アマゾン川を遡ってる間に、景色が変わらないからという理由で退屈するなんて、『ジャングル・クルーズ』を見てもわからない。でも確かに南米にカバはいないし、ピンクのイルカは本当にいるとわかった。ノンフィクションでは、作者の思い描いたように物事が進まないかわりに、思い描くこともできないような事が起きる。

所収のイルカ記、墜落記それぞれにおけるアマゾン行のうち、後者の往路中に、2001年9.11アメリ同時多発テロが起きる。奇しくもこの本を読み終わったのはアフガニスタンの首都カブールがターリバーンに掌握された日の夜で、アルカイダによるテロ後、カルザイ政権に指導権を譲ることとなったターリバーンは、20年の時を経てアフガニスタンにおける権力を完全かそれ以上に取り戻した。さらに20年後はどうなっているだろうか。

世界に走る緊張と、飛ばない飛行機にもめげずアマゾンにたどり着いたのち自ら墜落してしまう沢木さん、文明人の世界の出来事とは関係のないところで生きるイゾラドの人々。私がテレビに繰り返し映し出される衝撃的な映像をただ呆然と実家のリビングで見ていたとき、沢木耕太郎バンクーバーのホテルに滞在して役所広司にメールして「沢木さんの行くところ事件ありですね」と言われていたのだ。(カムチャッカの若者と柱頭にウィンクのやつです)

この取材の成果として制作されたNHKスペシャル『隔絶された人々 イゾラド』を見たいなぁと思っている。もともと国分ディレクターのロングインタビューをwebで読んでいて、近作の『アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり』には強く惹かれていたのだ。遡ったところに沢木耕太郎がいたなんて。オンデマンドで買うことになるのかな。

私は別に生きている間にアマゾンに行きたいと思ったことはないけど、家から出るのにさえ理由が必要な時期に、差し当たって家や映画館の中で旅をする習慣は気に入りつつある。

この本の表紙に使われている絵は、取材旅行中に沢木さんが出会ったものなのだけど、そのエピソードは、ある意味で沢木耕太郎のお仕事である旅に設えられた一つの唐突な窓のようで、私は旅という体験の忘れられない感触を味わった。旅には、人との出会いと持って帰れるお土産、それに持って帰れない景色がつきものなのだ。

どこへも行かない私には、iPhone以外にもいくつもの窓が必要なのだと思う。あちらからこちらに、風が抜けるように入力して出力する。それでやっと少しはバランスが取れる。