祐介•字慰

 

 

装丁が寄藤文平で、私は『死にカタログ』が好きだったので嬉しかった。元はといえば千早茜の作品に尾崎世界観が解説を書いていたので、この人の作品も読もうと思って手に取ったのだけど、別ルートの芋づるもあったようだ。クリープハイプはさっきライブラリに追加した。

『祐介』はデビュー作だ。主人公は作者自身にかぶるところがあるのかなぁと思わせるバンドマンの設定なのだけど、クリープハイプが売れてるから読者としてはむしろ切り離して読めるように思う。尾崎世界観は挫折して音楽をやめたわけじゃない。

生きてるとあるような最悪の瞬間が丁寧に書いてあって、書く間こんな文章が書けるようになってしまった所以であるところの最悪を味わい直したんじゃないかと思って心配になった。

車内にはもう誰ひとりとして乗客は残っておらず、ふと足元を見るとポッカリ空いたとなりの席の下に、マヨネーズが付いて鈍い光を放つレタスの欠片が落ちている。

スーツのおっさんがまさぐっていたビニール袋のなかのサンドウィッチと、確かに耳元で聞いた、レタスの芯を噛み砕く大きな咀嚼音を思い出した。

不思議なのは、この主人公は話している相手のことや視界に入る景色のことはよくよく観察して言葉にするのに、自分の格好や欲望の話はあまりしないことだ。

バンドマンなら(クソデカ主語失礼)、 こだわらないならこだわらないなりに格好のことを考えたり、かつて考えていた自分のことを笑ったりするものではと思うけど、マーチンはおろかオールスターも出てこない。ぼろいVansでも履いているのか。

女と寝るのも、女が寝るつもりだとわかるから寝るだけで、その女がいいとか、好きとか、そういうことを思っているわけではない。ピンサロ嬢の瞳ちゃんのことが好きなのは、かわいくて、安心だからだ。何も搾取されないから、その部屋にいる間は安らげる。

バンドを始めたときはプロを目指していて、自分たちの音楽の可能性を信じていたことはかろうじてわかるのだけど、主人公はそれが潰えるのと同時に、狂気の底に沈んでいくように見えるし、その先にも人生があるなんて思ってもみないようだ。

まだ歌舞いている体にはとても見えないのだけど、高校を卒業してすぐ就職してすぐ辞めて、バンドが崩壊した時もこの人は20代だ。バンドをやめるバンドマンは星の数ほどいて、確かに一つの人生が終わるのかもしれない。でも、長くバイトをしていた職場で登用試験を受けるとか、学生の時に取ってた資格を使うとか、家業を継ぐとか、そんなちょうどいい進路がない場合にさえ彼らは別に死なない。死ねと思わないし、20代も後半になれば転職や結婚や離婚や出産で人間はクルクル転身するのが当たり前だと思う。

つまり、この主人公がここまでグシャグシャになるのは個人の性質によるものだ。バンドをやっている生活に思考や行動様式が依存していて、今底つき体験をしているのかもしれない。底につく瞬間まですごく無自覚で、ドラマ『コントが始まる』の三人みたいに10年やってダメなら諦める、と期限を切ったりもしていなくて、貧してるから鈍していて、この祐介というバンドマンは、底をつかないとバンドが辞められなかったのかもしれない。音楽はこのあとも辞められないのかもしれない。

半自伝的、と言うけれど実際の人生の中身の話をしているというより、世界がこう見える、自分がこうしているのが見える、その輪郭を拾っているように感じた。観察する距離の遠近に相関して、文章が青青しい部分と、高級な部分とあって、そのムラは、そのまま主人公の痙攣的な生活における視界のムラなのかなと思った。

書き下ろしの『字慰』は最高、ただただ気持ちいい。