ガーデン

 

ガーデン (文春文庫)

ガーデン (文春文庫)

 

近所にある、取置きの雑誌と漫画・文庫・新書の新刊で棚がほぼ埋まっているような本屋で買った。タイトルと書き出しで私を傷つけない内容だと確信できたので。

 

※以下作品の内容に触れます。

 

 主人公は都内の出版社に勤める30代前半の男性。発展途上国の帰国子女のため、在外時は使用人がいてプールがあるような家に住んでいた。彼の心の居場所は、大人になった今もその邸宅の広く豊かな庭で、自宅のマンションを南国の植物の鉢植えで埋め尽くしている。彼は表面的な人間関係はソツなくこなせるが、誰かと深い関係性を持つことはない。そのような人間が、自分の欲望に少し向き合えるようになるまでを描いた長編小説。

 

 

 10歳年上の作家だが、連想することと次の行に現れることがしばしば一致して、読んでいる間とても親しみを感じていた。

タナハシは大きな写真集を広げていた。プラチナとダイヤモンドで作られたネックレスが見える。花や蔦を模したクラシックなものばかり。優美で繊細なデザイン。おそらく十九世紀末に流行したガーランド・スタイルのアクセサリー集だ。

 主人公が勤める出版社の資料室で、同期のタナハシが広げている写真集の描写。これを読みながらカルティエのことを思い出していると、1ページ経たないうちに "カルティエの歴史の本" がお目見えする。

 あるいは美術館もそうだった。

先にたって門を抜け、ゆるやかに蛇行した広い道を歩きだす。道の両側に茂った木々が、その姿勢の良い背中に大きな深い影を落とした。(中略)やがて道がひらけ、ロータリーの向こうに白い洋館が見えてきた。

 これは主人公が取材相手だった建築家の愛人と歩いているところなのだけど、"蛇行した…" のあたりで私は庭園美術館を脳裏に描いていて、"白い洋館が見え" た時には、そうかやっぱり、「ガーデン」だもんな、いかにもふさわしい、と感じた。

 このデートシーンは、幾度も観覧し散策した懐かしい場所が、丁寧に描写されてゆくのが本当に心地よくて驚いた。知っていることについて誰かが書いてくれることが、こんなに面白い。

 最近pixivに二次創作の小さなお話をいくつかあげてみたのだけど、おそらく読者全員がそのキャラの造形や言動についてある程度了解しているのに、もう一度書く意味あるのかなと思って描写を簡便にしたところがあった。でもこの本を読みながら、読む人の評価はわからないけれど私の趣味としては、作中に「庭園美術館と明記されているだけ」より、「庭園美術館であることが火を見るより明らかなくらい細かな描写がされている」ほうを好ましく思うんだなということがわかってよかった。わかっていることも、どのように書くかできっと全然違う。たぶんそれが必ずそのように思い描かれて欲しいようなことは、了解されているはずだとしてもきちんと書いたほうがよいのだ。

 

京都ロケのシーン他、ずっと濃密な植物の気配を感じる文章で本当に楽しかったなぁ。植物の魅力を語らせたらこの主人公は天下一品だ。

 

 最終的にはこの主人公が、建築家と破局した愛人を追っかけるのだけど、まぁそのタイミングで追っかけられて嬉しいか?と言うくらい遅いので、うまくはいかない気がする。助けてほしかった時になんにも未来のことを話してくれなかった男の人が、自分ですべてにカタをつけたあとになってのこのこやってきても、何の用?としか言いようがないように思うので。

 理沙子さん(元愛人)が主人公のことを好きだといいなと思う。この主人公に、情を持ってくれてるといい。彼は、急に真っ向から誰かを求めたり、誰かの求めに応えたりできないだろう。彼の生身の人間に対する怯えやそれによる行動習慣は、一朝一夕のものではない。だからこれはラブストーリーとしてのハッピーエンドとは言えないと思うのだ。

 ただ本人が「僕にも欲しい人がいるかもしれない」と気づけたことがよかった、そのような、最後まで庭の中に閉じるような、庭から出る道を歩むことができるかはまだわからないような終わりだった。

 解説を尾崎世界観が書いていて、3ページ目の終わりから、この作家の作品に登場する人物たちのことを語り始めるのだけどそれがよかった。私が小説を読んで「違う脳みそが入っている」と言い表す現象のことを言っているみたいだった。尾崎世界観の小説も読んでみようかな。