なかなか暮れない夏の夕暮れ

 

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)

 

 

移動の途中で読み切って、荷物減らしたさに訪ねた友人宅に置いてきた。この小説の主人公である稔が、一冊前に読んだ本の内容をうっすらとしか覚えてないのと同様、私の記憶からも既にディテイルが欠け落ちつつある。

稔の姉は名を雀という。私にとって雀といえばドラマ「カルテット」で満島ひかりが演じたすずめであるので、脳内のキャスティングはずっと満島ひかりだった。そしてこの小説のマドンナはまず間違いなくこの雀であり、白髪まじりのおかっぱ、ドイツ在住の写真家で実家は日本の資産家、という50女の役は、満島ひかりにぴったりだと思う。映画化がこれほど無意味そうな小説も少ないけれど、何かの機会になんとか彼女が演じる雀を見たいなぁと思う。

登場人物が読んでいる小説が、読んでいる部分そのまま作中に挿入されるというかなり技巧的な構造になっているのだけど、今まさに本を読んでいる私にとって、このつくりに共感するのはとても簡単なことだ。稔の読書は来客に遮られ、彼は一旦本に指を挟む。あるいは字が読みづらくなって陽が落ちたことに気づき、彼の意識は小説内で描かれる雪深い北欧から蒸し暑い日本に戻ってくる。好みに関わらず小説を読む人に薦めたくなる仕掛けだった。

読書に関して、本を読まない人間に寂しい思いをさせることがあるだろうことはよくわかる。人の家にお邪魔して、家主が仕事やら勉強やらするのを待つ間小説を読むことが時々あったが、何回かに一回は私が小説を読み終わるのを相手に待たせることになる。呼ばれて顔を上げた私の表情を見るなり「わかったからそれ読んじゃいな」というひとも、あるいは本と顔の間に割り込むようにして「まだ?」というひとも、ただ横になった私の肩甲骨の間に頭蓋骨を収めて待つひともあったけど、みんなどんな気持ちだったんだろうな、その節はありがとうね、と本の虫の稔との間に娘をもうけた渚の回想を読みながら思った。

この小説には中年の人が何人も出てくる。彼らを眺めながら、そうか人生には40代50代というものがあってしかもきちんと深刻かもしれないのか、と思うことは、私にとって現状喜ばしいことではなくて、確かになんだってそんなになかなか暮れないんだろうな、本でも読んでればそのうち終わるかな、という気分が抜けない。雀みたいにやりたいことが沢山ある人に、憧れ救われて生きるのかもしれない。