くちなし

 

くちなし (文春文庫)

くちなし (文春文庫)

 

 

日本の女性作家を続けて読んでいる。性別に意味があるかと言われるとないかもしれないのだけど、「情緒が手に取るようにわかる」と思うのは女性であることを明らかにしている作家に多い。性自認性的志向というよりは、日本で女ジェンダーをやっている、という共通点によるもののような気がしている。

 

彩瀬まるのこの本は短編集で、2015年から2017年の間に書かれたものだ。一見現代日本によく似た世界だけれど、ファンタジーと言えるような不思議な設定を持つ作品が多い。とは言っても大仰な呪文を唱えるわけでも薬草をすりつぶすわけでもないので、なにげなく書かれた異常な情景を苦もなく脳裏に描いてしまうことによって、抵抗する間も無くその作品の世界観を受け入れることを繰り返した。内科の診察で喉を見られる時や、男の人の指を舐めようとしたら人差し指を裏返されて舌を押さえられる時に似ている。ともあれ読み始めたときには準備運動をしていなかった筋肉を、お、そこを伸ばすのか、とほぐすのは気持ちがいいので、そういうマゾ寄りの人間におすすめ。まぁ読書なんてマゾのすることかもしれないなとも思う。脳をかぱっと開いて他人の世界を流し込んでうがいするみたいなことでしょう。

 

美しいセリフをふたつ引用する。美味しいところでもあるから文脈は書かない。

「春の、夕方に、そこの公園のベンチでマチヤさんが、眠ってるナナコちゃんを抱っこしながら小声で歌ってるのを見て、こういうのいいなあってずっと覚えてました。なんかゆるくて、安心できて、ちょっと光ってて、時間が流れてないみたいな、そんなイメージを追っかけるうちに出来た服なんです。だから、お礼に受け取ってください」

「愛のスカート」

「ユリちゃん私ね、アキラさんのこと大好きだった。三回、ううん、もしかしたらもっと、正確な数すら分からないくらい裏切られて、それでもまだ好きだったの。アキラさんの声も、顔も、体も、おばあちゃん子で折り紙が得意なところも、嫌なことがあると夜中にいきなりカレーとか煮込み始めるところも、夜中でもコンビニに行きたいって言ったら付き合ってくれるところも、好きだった」

「茄子とゴーヤ」

 

どちらも恋が言わせるセリフで、その恋がほんとうのことだってわかる。誰かが誰かのことを心底好きな時の、火花のような、他人には口出しできない狂おしさを、自分の感情を掘り下げるでも友人の打ち明け話を聞くでもなく、そこいらの本屋でこの本を買うだけで、こんな風にありありと味わえる。贅沢だと思う。文脈も込みでこのセリフに辿り着くととても気持ちがいいから、生活に快楽が足りないひとは買ってください。情緒にも労りが必要なので。