それを愛とまちがえるから

 

それを愛とまちがえるから (中公文庫)

それを愛とまちがえるから (中公文庫)

 

 

昨日は新しい本を鞄に入れるのを忘れて、でも喫茶店に入る必要があったので書店に寄って文庫本を買った。もう一冊棚に差さっていた井上荒野の本は「潤一」で、志尊淳主演でドラマ化された際に刷られたであろう写真のカバーが付いていた。志尊さんに恨みはないんだけれども気恥ずかしくて "じゃない方" だったコレを買った。積読を全部無視して出先で買った本を読むの、行きずりの男の人と寝るのと似て…そんなに上手くは似ないか、言うほど似ていなくもないか。

お察しの通り井上荒野を読みたい気配があるのだけど、この感じは山本文緒を立て続けに読んだ時の感触に似ている。娯楽として消費できる親しみやすい文体、私の普段の生活から地続きに共感できるような、文化的ギャップのない設定、読んだあとちゃんと喉が乾くドラマ性。

関係のない思い出話をする。山本文緒を読み漁った当時私は学生で、新品を書店で買う今とは違い、小汚い文庫をBOOKOFFで買っていた。読後彼氏に貸した山本文緒の文庫本たちは別れる段になってきちんと返却されたから私の手元にある。返されたときに大層悲しかったことは覚えているのに感触はかなりあやふやで、その程度であったことを認めざるを得ない。感情全体の大きさが今とは比べ物にならないくらい軽薄短小で、そのときの全体重を乗っけたところでせいぜい死ぬって言って相手を脅すくらいのことしかできなかったのだ。当時はほんとうに死にたかったから嘘じゃないけど、死ぬとしたらその相手のためではなかったんだから誠実とは言い難い。酷い有様だったし相手に迷惑をたくさんかけた。(今度こそほんとうに関係ないけど私が持っている唯一の乱丁本は山本文緒「眠れるラプンツェル」だ。お取り替えいただけるかもしれないとは思うけれど正規の価格を払っていないし、逆さになったページが面白いからこれからも乱丁本のまま持っておくような気もする。)

この小説では、40代前半の女性である主人公が、学生時代に出会った夫との結婚生活15年目(セックスレス歴3年目)にして学生時代の元彼と不倫をしていた。私には夫も彼氏もいないのだけれど、今までの恋人や友人関係についてはかなりの部分を大学生までに出会った人たちに依存しているせいか他人事とは思えず、なんというか大抵の人生はこのように強かなものとして続いていくのかと思ったら目眩がした。

どうやら続いていくらしい、私にとってはまだ"その後"であるような人生を読み進めて一番怖かったのは、主人公がまずいガスパチョを飲んだ瞬間にシンクに捨ててキレ散らかさ"なかった" ことだ。15年も結婚生活をしたあと生活に惓むと、感情は重厚長大になるんだろう、迫力に気圧された。

もうひとつ付け加えるならこの作品を通じて一番寂しかったのは、朱音という夫の愛人が格好良く今風に捉えられていたことだった。若くて未熟であるからこその賢さや強さがどこか眩しいことのように書いてあると、これは成熟した大人の書いた読み物で、それを私は今読んでいるんだな、と思い知らされて寂しくなる。

いずれにしても、そういった若さと若くなさ(老いと呼ぶにはまだ活きがよすぎる)の全てが小気味よく書いてあって、世の中にはこんなになんでも小気味よく書けるひとがいるのか、と驚いているうちに香山リカの解説が始まってしまう。

解説まで読み終えて、ははあ、どうも私はほんとうにセックスのことが何にもわかっていないんだよな、興味はあるのにな、と謙虚な心持ちになった。自分にとってのセックス、と考えると年々分からなくなっているのだけど、5秒前まで罵り合っていた恋人同士が "キレて" セックスをするような映画のシーンなんかは余裕で分かるようになっていて、学生時分の私には、なんで分かるんだよ…おかしいでしょ…と引かれている気がする。不思議な主題だなと思うし、事によっては自分の性欲がなくなってすらセックスを介した人間関係への興味は尽きないのかもな、とも思う。