グアテマラ伝説集

 

グアテマラ伝説集 (岩波文庫)

グアテマラ伝説集 (岩波文庫)

 

 

魚たちの向こう側で、海は孤独であった。根たちは、すでに血を失ってしまった無辺の広野で、彗星たちの埋葬に参列した後、疲れて眠ることもできないでいた。

 

この本に納められている7つの伝説のうち、「春嵐の妖術師たち」の書き出しを引いた。一番気に入ったものを選んだけれど、調子としては全編これなので、私にとっては味が濃いポテチか刺激の強いエロ本みたいなものだった。ずっと口が開いてるので人前で読めない。

 

この本に出てくる象徴的なモチーフはマヤ文明に基づくものが多く、描写される風物も当然グアテマラのものなので、私が培った文化的な常識のようなものはほぼ通用しない。最低限の構造の理解すら解説と訳注なしには覚束なかっただろうと思う。

 

ただ、このわからなさが、私の中南米の文学に対する憧れを構成するひとつの要素であることは告白せねばならなくて、このレベルでわからなければ、私たちが日頃キモノ!ゼン!テンプラ!スシ!と言われてなるほど…?と思っているエキゾチシズムを多少抱いてしまっても許されるのでは?と思っているのだ。私にはそういう許されを期待している部分がある。確かにある、コロンビアやグアテマラやアルゼンチンの皆さんは、ハポンの私がわからないままに目をキラキラさせていても許してくれそう、みたいな、甘い期待が…。

 

私にとってのラテンアメリカ文学とは、幼い頃読んだ長編ファンタジーと同じエスケープ機能と後から必要になったエロスの充足を同時に提供してくれる優しい世界のことで、なんてありがたい…と常々思っている。重ねて言うなら、この優しい世界の存在を教えてもらえて、かつ自分でも愉しみ方を見つけられるように育っておいて幸運だったなと感じている。荻原規子の勾玉シリーズは日本の国造り神話に基づくものであったけど、記紀を直接に読まずともそういう自国のファンタジーを読んであったから、今読んだ異国の国造り神話で扱われるモチーフに新鮮さや驚きを感ずることができるし、一方その神々のダイナミックさや理屈の通らなさに「どこのクニの神もまぁまぁヤベーな…」と思うこともできる。

 

容易には把握も理解もし得ない異世界の存在に触れ、自分のパラレルさを知っておくことは、生存を有利にしてくれるとも思っている。私のいる場所は唯一の神が作った唯一の居場所ではない、と思えること。今ここじゃないいつかのどこかがあることを、いつでもわかっておくこと。そういうわけで私はこれからもこの地方の作品を定期的に読むだろう、好き勝手美しく想像できる魅惑的な風物によだれを垂らし、生や性の、太陽や雨や植物の底知れない力を思い出すために。今ここの温度や湿度から一時抜け出でて、3歩先が見えない白くて濃い霧の中や、鳴き声を聞いたことのない鳥が眠る森の闇の中をさまよい歩くために。