想像のレッスン

 

想像のレッスン (ちくま文庫)

想像のレッスン (ちくま文庫)

 

 

2005年に刊行された評論集を2019年に文庫に入れる企画、意気込みがすごいとしか言いようがない。数ヶ月はバッグの中に入れていて、チラッと読んでは脈略の弱さに耐えられなくて早々に切り上げていた。

この本に収められた数々の評論は2000年代前半に著された芸術に関するものが殆どで、その当時の私は知る由もなかったような興味深い展示や映画の影を追うことができる。紹介された芸術家たちのうち幾人かは、大学に通うようになってから存在を知り、関心を持った人たちだったので、この本を片手にアーカイブを探すところまでやれば、体験としては大勝利になるだろう。山本耀司ピナ・バウシュ河瀬直美

そして、これらのテキストを今読むことの意味として私が最初に思いつくのは、全てのテキストが東日本大震災以前に書かれているということ。今や安易とも言える発想で恥ずかしいからそのような読みをしないように心がけていたのだけど、文庫版あとがきの2行目で筆者本人が言及していたので私もそれについて思いを致すことを自分に許した。

もうひとつは、書かれた当時から15年経ってなお、普遍性や現在性を失わずに、私たちの問題、私たちの問いとして提示され得るテーマとは何かが、浮き彫りになっているということ。それは、刊行当初には付加され得なかった価値であり、最初に述べた通り、文庫に入れた筑摩書房はすごい。

それぞれのテキストの初出詳細がどこかに記載されていて欲しかったなと少し思うけれど、たまにはこういうものを選ぶのもよいなと思った。装丁は安野光雅

「『このようにしか生きられない』『このようにしか世界をつかめない』『このようにしか世界と向き合えない』。上等である。これほどに信頼できるものがあろうか」。カタログにあったプロデューサー・はたよしこの言葉に、すなおにうなずいた。(レッスン4 見失ったもの-意味のゼロ還元? 中心もなく、エンディングもなく 《私あるいは私-静かなる燃焼系》展より p.221)

上等である、には勇気をもらったな、そのおかげで明日も生きてるかもしれない。