愛の国

 

愛の国 (角川文庫)

愛の国 (角川文庫)

 

 

王寺ミチルシリーズの最終編だそうで、私は前2作を読んだかどうだかまだ確かめていない。前2作は「猫背の王子」「天使の骨」で、「天使の骨」は読んだかもしれない。

 

極度な右傾化が進み同性愛の迫害が公然と行われるようになった日本で、レズビアンの女性劇作家が自らも出演する作品の千秋楽、愛する主演女優とともに宙吊りになってタンゴを踊るそのクライマックスで落下、"心中"し、作家だけが記憶を失いながらも生き残った、その出来事を発端に展開される物語で、話の筋はかなり荒唐無稽気味なのだがとにかく面白いし、四国遍路やサンティアゴ巡礼などの描写が真に迫っている(ように思える)ので読めてしまう。

 

終始女と女が愛だなんだとやっている小説で、男の人は多少蚊帳の外気味ではある、ノンケの女の人も落としてしまうミチルの魔性が全部悪いとは思う。でも、この小説には「女が愛だなんだとやっている…」という形容の後に、思わず、"映画"という単語を補いそうになるくらいには、ロケーションにもドラマそのものにも、映画を撮って欲しいと願わずにはいられない切迫した美しさがある。それは "同性愛が迫害されている日本" という設定をとり入れた上で、レズビアンの女性たちの愛を描く、という "禁断性" によって、つまり彼女たちの、後のない、あるいは先のない眼を通して物語が描かれることによって、明らかに、際立っている。

 

美しい戯曲さえ書けたなら、その舞台をあなたと作り上げられたなら、他には何にもいらない、そういう危うさのようなもの、友人にいたらただただ心配だと思うのだけれど、この小説を読んでいる間にそういう心配をする暇はあまりない。主要人物の価値観に疑問を差し挟めるほど熱量が下がる隙間がない。あなたがいないなら私は死んだも同然だし、本当はもうするべきことなんてひとつもない、私はこの命の使いようをあるべきように定めてしまえる。この静かな境地に案内される最期のときまで、この運命には迷いがない。

 

作者にとってはタンゴ・ロクサーヌが彼女を送ってやるための葬送曲なのかもしれない、その愛の哀しさを抱きしめたまま逝くような物語の終焉だった。