不良少年とキリスト

 

評論集。九つ目次があって、織田作之助太宰治が亡くなった時にそれぞれ書いたものが含まれている。全ての作品が戦後すぐ、1946年〜1948年が初出だ。

座談会が2つ収められているのだけど、出てくる織田太宰平野謙といった面々がそれぞれに面白い。酒が入っているせいか与太話をくどくどするところも随分あり、太宰は特に甘えて駄々をこねているようなところがあって、微笑ましかった。

そうやって油断していると、

ぼくはね、今までひとの事を書けなかったんですよ。この頃すこうしね、他人を書けるようになったんですよ。ぼくと同じ位に慈しんでー慈しんでというのは口幅ったい。一生懸命やって書けるようになって、とても嬉しいんですよ。何か枠がすこうしね、また大きくなったなアなんと思って、すこうし他人を書けるようになったのですよ。

-『座談会 歓楽極まりて哀情多し』より

 

ということをしみじみと言い出したりする。("なんと思って"は原文ママ)太宰のこの発言に返事をしているのは安吾で、太宰が安吾にこういうことを言いたいと思ってることがかわいいよなあと思っていた。

この前段で"四十になったら"云々、と言っていた太宰は四十を見ずに死んで、そのあと安吾が太宰のことを書いた「不良少年とキリスト」からは、筆者の無念がしんしんと伝わってくる。

でも、そもそも自分の寿命があと数年だろうと思っているひとが、今日死ぬことを選ぶのは、あと何十年も生きると思っている場合に比べれば、大きな決断ではないだろうなと思う。戦時中には人間の命が虫けら同然に扱われて、この人たちはそれをまざまざと見た世代だ。太宰も体調がすぐれないときが多い生活をしていて、自分が長生きをしないだろうと予感していたら、死ぬときを自分で選びたいと、自分の思ったように死にたいと思うのも道理なように感じる。死んだら、あいつにもあのひとにも、去年死んだ織田作にも会えるのだし。この世が寂しくなる年齢が、今よりずっと早かったろうと思う。

安吾が太宰の晩年(作品でない)を評してフツカヨイ的と書いているのを見て、インターネットで自分や自分のメンヘラをコンテンツにしているうちに死んでしまったひとたちのことを思い出した。生前何をしたかはともかく、命の使い方に近しいところがあったかもしれないと思う。太宰の時代にインターネットがなくてよかった。ネットで適当に承認欲求を満たせなかった(半端に満たすせいで余計に乾くこともなかった)おかげで、小説を書いていてくれたような気がしてくる。酒と女と薬物で大変だったのは今と同じだけど。

坂口安吾自体は強靱で、ほかを読まねばならぬなあと思う。この本の中で言うとヤミ論語なんかは時事の色合いが濃く、今の感覚では受け入れ難いことも書いてあるのだけど、でも当時の情勢でこのようなことを書くのがどういうことか、に想像を巡らせるのは楽しい。

太宰のことばかり書いたけど安吾の書き方がいいからそうなる。逆に言うとこの本は安吾のファンだけでなくて太宰や織田作のファンにも読まれてきたのだろう。ひとつの時代を映している。