ゼロになる

両の手から零れ落ちてゆく砂だと思うと、その粒子の細かさや、太陽の気配がする温度、混ざったシーグラス、なんだって愛おしいような気がする。

失うことを考えると気持ちが安らかになることはままある。いつか見送るとき、一緒に滅びるとき、確かにそれまでの間、対象を見つめて慈しみましたということが、少なくとも私自身には感じられるだろうと思うから。心身に残される痛みや、対象と共に連れ去られる自分の一部分の欠損は、他のどんな慰めよりも安らかな承認になる。