思い出のマーニー

実は私のなかでもだいぶ思い出になりかけています。
祖母と見ました。しかし美しい記憶なので、むりやりに、twitterに書いた感想をもとに思い出してみようと思います。


ジブリの基本装備全部あった(おさらい)

「最初は少女が車に乗って移動して、
水を渡った向こうに別の世界があって、
両親が揃わず、
惹かれ合う人物と出会って、
また少女はもとの世界に、あちら側の思い出を胸に帰ってゆく。
こちらでは美味しい野菜を食べ、あちらでは肉汁したたる肉を食べない。」

トトロや千と千尋の神隠しを思い浮かべて書いた
このツイートをおさらいするよ!



a.此岸と彼岸

全部の作品がそうではないにせよ、
ジブリの作品では「こちらがわ」「あちらがわ」そのあわいが描かれることがとても多いです。
夏休みに公開される作品にこのモチーフが用いられていると、
私はすごく自由になった気持になって、心が安らぎます。



b.親の不在

ディズニーやマンガ作品でも多いと思うんですが
主人公の両親ががっちり揃っていることって少なめで、
それはその子供が親との関係から完全に自由であるため、というよりは
親との関係が不完全であることを動機にして
親、他者、世界との関係を補完すべく旅に出るからだと思います。

c.少女はもとの世界に帰る
やばいのは、厳密に言うと同じ世界には帰らないところです。
彼岸を体験したあとの少女は、現実、ないしは本来生きてゆくべき場所、
生きるに値する世界に戻っていくときには、
彼岸を体験する以前の少女とは違う細胞でできているからです。
遺伝子組み換え少女です。



d.こちらでは美味しい野菜をたべ、あちらでは肉汁したたる肉を食べない。

野菜の件は本作にめたくそ印象に残るトマトやスイカの絵が出てきて、
本当に、本当になんて美味しそうなのか!(私はこの夏あんなに美味いトマトには巡り合っていない)ひっぱられて入っていますが、
大事なのは、あちらの世界の食べ物を食べない、というところです。
食べ物っていうのはやっぱり血であり、肉であるために、
食べてしまうとその世界の一員になってしまうのだと思います。

その思想自体も、食べ物のことを大事に大事にその世界を描くための
重要な主題のひとつとして扱ってくれるジブリの姿勢も
食い意地の張った人間として大好きと言わざるを得ません。



・絵がとにかくよかった

「杏奈の表情の変化も、マーニーの目の焦点のぼやけ方も、よく転ぶのも、息をするのも、トマトを切るのも、湿地も、ボートを漕ぐのも、杏奈をさらう波も、いじわるなブラシの使い方も、逆立つ髪も、あの丸太の橋のシーンもほんとに見てよかった。」
「あとおばさんの足音がすごくうるさいのも良かった」

これ見てから一ヶ月たつ今でも、ひとつひとつのシーンがサァァーっと想起されます。
音もとてもよかった。
杏奈の顔だけちょっと思い出すのに苦労する。

それと杏奈が電車に乗ってやってきたときや、
お母さんが迎えに来た時にそのすぐ前を歩いてたおばあちゃんは誰だったのかな。
電車から降りるシーンの度にいたけど。


云うまでもないことなのかもしれないけど
ジブリお家芸みたいな描写ってあって、
それを見ると胸が高鳴るように幼い頃からすりこまれているので、
もうそれはどうしようもないんだと思う。


・以上だ

結局ジブリがなんですきか、という話になってしまったけど
監督が違ってもジブリジブリなんだ、という安心をくれたことがとっても嬉しかったし、
その一方でこの作品でしか得られないであろう、マーニーの圧倒的な理不尽、美しさ、愛する対象としての崇高な完全さを、
杏奈とともに味わうことが許されていたことが、私がこの作品を今でも思い出したいと思う大きな理由だと思う。