ゆるやかに死んでいく

ウエハースの椅子 (新潮文庫)

ウエハースの椅子 (新潮文庫)

繋がりを、相手と共有した自分を殺すことにためらいがない人を知っている。
そしてたしかに私は自分の一部を失ってしまった。
それは腕を切断された、というよりは全ての細胞からある一つの成分だけが失われた感覚だ。その成分を生産する力が私にはないのに。
なので、主人公と同じはやさで死に運ばれてゆく人間がいる
この物語は、とても幸せなものだとおもう。
このふたりには絶望した幸福の中で生きてゆく(死んでゆく)
以外の選択肢がない。その安らかさと苛酷さ。

もちろん私が殺されたのは殺されることをためらわなかったからだ、ともいえる。殺されないくらいなら死んでしまったほうがよくて、生かされないことに苦痛を感じていた。重要なのは生かされないことがほかでもないその人によって決定されていることで、私はそれに気づくべきだったのに、そのときは生かされていないことが問題に思えたのだ。

それでも細胞の全部が死ぬわけではなくて
私はこうして生きている。

と、江國香織に心酔したミーハーな気持ちで書くとこうなるけど、これはある種の賢さを拒否した思考ではある。
江國香織の小説は、いつも「愚かさ」を帯びている。
または「愚かさ」に対する「愛情」を帯びている。
おそらく人が「愚かさ」を発揮するのは、その人の世界をその人の世界にするために重要な、要の部分なのだ。
そういうだいじなものを決めるのは、賢さではなくて「愚かさ」なのだ。