もういくつ寝ると

今まで、友人に恋人ができれば長く続きますようにと思っていたし、結婚するとなれば祝福する気持ちを持っていた。それは他者に対してであれば今も変わらない。みんな幸せでいて欲しい。

でも気がついたらカップルという関係性の排他性のために、私が手放さざるを得なかったつながりの墓が結構な数になってしまった。供養に手がかかる。

私は異性愛者なので、友人の性別が異性だとその友人の恋人にとって私が警戒の対象になることが多い。異性の友達のなかには、私と会うことを恋人に隠す人がいる。紹介してくれたらいいのに、といつも思うけどそううまくはいかなくて、でもその一点のためにその人を友達甲斐のないやつだと切って捨てることが、今のところ私にはできない。

私も自分の恋人の関心が他の人に向くのは嫌だったから、恋人の周りの異性を警戒すること自体はよくわかる。でも、友人との関わりが、そういった色恋の文脈で汚らわしいもの認定されて失われるときには、とても寂しい気持ちになる。距離が近かったとして、それはあなたたちがやってるのとは全然種類が違うのに。たいていの場合はわかってもらえない。

もちろん別に生まれてこの方常に身綺麗だったわけでもないし、例え身体的に潔白だったとしても、半分は自業だなと思う。(当然ながら半分は男友達の業だと思う。)だから個別の恨みはないのだけど、その喪失の積み重ねのせいで、自分自身はもうそういう排他的な番の関係性に与することができない気がしている。宇多田ヒカルが「誰かの願いが叶うころ」と歌ったのを何度でも思い出すけれど、たとえ私の観測範囲にいなかったとしても、私が誰かと排他的なパートナーシップを結ぶことで、私じゃない誰かが、寂しい思いをするのだ。いつかきっと。

好きな人間の友人や知人に、今の私のような経験を積んで欲しいと思えない。バカみたいだと思う人が多いと思うけど、私のために、私じゃない誰かを締め出したくない。

 

2020.10.11

 

今日2020年10月20日にかなり大きな流れ星を見て、地震のときもそうなのだけどしばらくの間他のことが考えられなくなった。そういったことを何かの兆としていた頃に身体が戻るような気がするのだ。私は占いもできないし、天体観測もできないのに。上の下書きはあまりにも幼なくて片意地だなと思ってしまってあったのだけど、感覚としては特定の恋人をつくらなくなってからずっとあるもので、私にとってはそう過激な思想でもないんだよなと思い直して出してきた。思い直したのは言うまでもなく流れ星を見て宇多田ヒカルを思い出したからだ。三日月も見ましたか。

 

2020.10.20