さかしま

 

さかしま (河出文庫)

さかしま (河出文庫)

 

1884年に刊行されたフランスの作家ユイスマンスの作品。独身の有閑男性が延々自分の好きなもの、嫌いなものと、神経症の具合を教えてくれるデカダンス文学。面白さを説明しようとして失敗しているな。

この翻訳の初版が1962年、澁澤龍彦の手になるからなのか、現在一般に使われているとは言えないであろう熟語にもほとんどルビがなくて、義務教育だけだと厳しい印象だった。高等教育を受けたはずの私もあやしい単語を調べながら読み進めた。 "技巧主義" と書いておいて "マニエリスム" とルビを振るような形で仏語のニュアンスを残してある語は多く、通常の振り仮名をほとんど振らないのも意図的に採られた方針の一環だろうと思う。確かに作品内容に相応しく美しい組版、日本語であった。

訳注も充実していて、285項目に約60頁が割かれている。本当は全部読んだほうがいいのだろうけど動作の煩雑さに耐えられずに途中からは文脈で当たりがつかないものだけ参照した。

好きなディテイルはいくつもあった。まず前提としてこの作品にはディテイルしかないのでそもそもディテイルが好きな人間でないと一体なんの意味があってこんなにくどくどしく固有名詞を書き連ねてあるのか全く理解に苦しむと思うのだけど、この16章が取り扱うそれぞれの主題(絵画・香り・内装など)のために引っ張り出された夥しい名詞は、その全体量を持ってそれぞれの小さな世界を支えており、私にとっても世界はそのように要約され得ないものであるので、わかる、わかるよユイスマンス、という気持ちであった。でも私はそれを全部書いて出版したいとは思わないので、19世紀には奇特な人がいたものだなと思う。

フロベールゴンクール、ゾラ、ボードレールヴェルレーヌマラルメあたりの名を知っている作家への言及についてはそうか、やっぱり読んでおこうかいう被啓蒙の気分にさせられている。詩は特に翻訳によって失われるものが多すぎるので、買うなら原文が併記されているものがいい、などと思っているといつまでも後回しになる。)

小説として楽しんだのは主人公デ・ゼッサントがロンドンに行こうとする十一章だ。この人絶対ロンドンには行けないだろうな、行くつもり本当にあるのかな、と思いながら読むと、最後にはやっぱり行かないのだ。絶対電車に乗れないと思った。デ・ゼッサントはロンドンくんだりまで旅行に行ったりなんかしないし、できないということが、それまでの十章を読むと分かるようになる。

この小説の最後にはデ・ゼッサントが死ぬのかなと思っていたのだけど、物理的には死なずに精神的に死んで、不可能な信仰に向かうところまで完遂されていた。太宰はフランス語落第だったからユイスマンスも読んでいないのだろうか。読めたら女と死なないで済んだかもしれないのに。