小松とうさちゃん

 

小松とうさちゃん (河出文庫)

小松とうさちゃん (河出文庫)

  • 作者:絲山秋子
  • 発売日: 2019/12/05
  • メディア: 文庫
 

 

小説らしい小説を読んでいた。解説を小川洋子が書いていて、非の打ち所のない感想文を兼ねているのでもうなにも書く気がしない。解説だけ立ち読みして面白そうだと思ったら買ってくれ。

以下はストーリーの内容を含む。

大学の非常勤講師を掛け持ちする実家暮らしの研究者小松と会社勤めでネトゲにハマっているサラリーマン宇佐美は、居酒屋の常連同士である。ひょんなことから小松がみどりという女性に出会い、恋に落ちる…というふうに物語は始まる。その後ずっとストーリーの軸となる小松の恋はキャラの造形とあいまって読んでいて楽しく、目尻が綻ぶような描写がいくつもある。詳細は小川洋子の解説を…という按配なのだが、そこに書いてないことで私が少し思いを馳せたことがあるのでそれだけメモしておく。

小説の最後になって、このみどりという新潟に住んでいる女性が、都内に住んでいる宇佐美と、ネトゲ上で同じチームに属していたことがわかる。今私が考えそうなことといえば距離と出会いのことなのだけど(わかって)、みどりは都内の病院に仕事で毎週通っていて、新潟と都内を行ったり来たりしている。でも、当然のことながら小松が新潟に向かう新幹線の車内で偶然みどりを見つけるまで彼らの実生活は交わらなかった。

その一方で、みどりはどこにいるかに関係なくネトゲのサーバーにアクセスしてゲームをプレイし、宇佐美と同じチームで戦っていた。ディスプレイの向こうに人間がいることを想像しろ、というのはSNS利用時の心得として度々言われることだが、ネトゲにおけるコミュニケーションにも、中間管理職気質の宇佐美はそれなりに心と時間と手間を割いていた。

みどりがネトゲ上のチームメイトだとわかった瞬間、宇佐美はみどりのことを"知っている人" として認識したのではないかと思う。ゲーム上のことを話す様子からもそれが伺えるのだけど、そういうつながり方を、偶然新幹線で落とし物を拾う、というある種古典的でいかにも小説的な小松とみどりの出会いと並行して書いていることが、この作品を上品に今っぽく、面白くしていた。

宇佐美がみどりのハンドルネームとネトゲ内での人格しか知らないまま、みどりがネトゲを引退し、やがてサービスが終了したら、宇佐美の人生にとってその出会いはどのくらいの重みがあっただろう。想像していたのはたとえばこういうことだ。

当然小松を介してリアルで "も" 出会ってからの方が、お互いにとっての存在は重くなったと思う。ただこの点に関して私はかなりインターネットのことを信じていて、たとえばネット上で私が書くことや載せるものを見ていてくれる人は、職場で週に何回も顔を合わせる隣の部署の人なんかよりは私の人格に詳しいだろうと思っている。では実際に会わない人の不利な点は何かというと、私がインターネットを開いた時にしかつながらないから、私に干渉できないことだ。相手に積極的に求められていない時にも干渉できることがあるのがオフラインで出会った人たちの強みだと思う。これは無論翻って、オンラインの強みはいつだってある程度 "都合がいい" ことだ、とも言える。人の生活にはしがらみやプレッシャーの少ないコミュニケーションが必要な時が必ずある。

デジタルネイティブとは言わないまでも、思春期にはもうインターネットを使っていた世代に生まれた私は、両方をふつうにやっていきたいと思っている。少し前まではインターネット上での出会いをうさんくさく薄っぺらいものとして扱う風潮があったけど、今その価値観は消え失せつつあって、ほんとうに嬉しい。不謹慎なニュアンスがあったら恐縮だが、"オンラインなんとか" には追い風のご時世である。この調子で頑張って欲しいなと思っている。

三人称であることもあり、登場人物たちの心情を直接に書いてある部分はそう多くはない。感情を揺すぶるということであればたとえばいいところで感極まって号泣するような読み方をするのは結構難しいんじゃないかと思うのだけど、それぞれの登場人物の現在の生活や、それまでの来し方に人間の生臭さは確かに息づいていて、ユーモアのある書きぶりのなかにそうか、リアルってこんな感じか、という小さな納得があった。俺のリアルはどこにあるんだよ、とぼやく宇佐美のリアルに、まぁぼちぼちやっていくしかないんだなぁと励まされている。